夜半の後半。日はすでにとっぷりと暮れ、野鳥も寝静まるころ、信は目を覚ました。
白壁に人工的ではあるが質素に作られた窓から、月明かりが落ちてくる。今日は雲一つない快晴で、青白い光に掛布団へ影が落ちていた。
今座っている寝台に寝付いたのはいつだっただろうか。身体だけの関係の、逆らうことが出来ない上官に呼び出され、酒を無理やりにでも飲まされたのが陽が暮れかかりかけていたころだと思う。豪華な料理に、普段飲まないような酒。いつもこの傍若無人な上官はこのような食事をしているのかと少し、本当に少しだけだが羨ましくなった。
それから、どうしたか。思い出せずうんうん唸っていると、目を覚ました理由を思考の泡をかき分けながら思い出した。酒もかなりの量を飲んだので、尿意を覚えたのだ。
寝かしつけられていた寝台の肌掛けを剥がすと、なぜか全裸で寝ており、寝ている時の脱ぎ癖等がないはずの信は思考の泡はどのぞに流れ、頭に疑問符ばかりが今度は大半を占めた。
上半身を起こし、辺りを見渡すと机の上に飲んでいた酒が注がれた青銅器と口をつけていた陶器が目に入る。飲んだまま寝た、ということだろうか。それにしたって、真っ裸はおかしいような。
釈然としないが、刻一刻と迫る尿意の決壊には背に腹は代えられない。疑問はとりあえず横に置いておき、足を寝台の縁に滑らせ腰をかけた状態で履き物へとつま先を滑らせた。
燭台の灯りは消されているので、火打石で灯りを点す。部屋が明るくなり心なしか小さく安堵した。
そろそろ膀胱も限界に近づいている。いそいそと厠へ行こうと部屋をでると、斜め奥の部屋から灯りが漏れているのが見える。後ろ姿が半分しか見えなかったが椅子に座り、何かをしている上官の姿だった。
話しかけようにも何を言っていいか分からず、もちろんそんな甘い関係ではなかったのでさっさと寝ようと意を固め、厠に行き用を足した。
開放感で帰ってくると、先ほど後ろ姿しか見えなかった上官が、寝台のある部屋の壁に左肩だけをもたれかからせ腕組みをしながらこちらをじっと眺めていた。
紫黒の寝衣を纏っている上官の口もとはいつも口角が上がっている。
「……んだよ」
ちらりと上官の表情だけを盗み見て、すぐさま視線を斜め下に落とす。目を合わせるのも面倒でもう寝る、と言わんばかりに吐き捨てたが、ここで会話を終わらせてくれるような相手ではなかったことを今更ながら思い出す。
「起きたのかよ」
「わりィか」
「いや?」
関係ないと言いながらこちらに来たのはどうしてなのか。問うてみたかったがそれすらも面倒だったので、上官の前を通り抜け寝台へ行こう通りがかった時、ふと立ち止まってしまう。自分でも驚いたが更に口をついてスラスラと言葉が出てきてしまった。
「……明け方に出っから。俺はもう寝」
何を律儀に帰る時間を告げてるのだろうか。この上官には自分がいつ帰ろうか知ったことではないはずなのに。信は自分の口から出てきた言葉にびっくりする他なかった。
普段なら何も告げず、さっさと帰るのが定石だった。この上官に呼び出され、酷く抱かれて、帰る。それだけの関係だったはず。取り決めもなく始まった関係は、ひたすら緩いものでお互いの軍の方針が殆どそのまま自分たちの関係にも反映されているようだった。それにも関わらず、帰途の時間を言ったところで、どうなるのか。
言い終わるなり、下唇を噛み自分を責めたがどうにもなるはずもない。
答えを得られるかと顔を上げた途端、ぐいっと上官に腕をつかまれた。表情は小さな灯りしかなく読み取れない。想像以上に強い力で寝台へと腕を引かれ、突き飛ばされて両手を後ろにつき衝撃をなんとか和らげる。燭台の灯が僅かに揺れ、上官の顔の陰影を強めた。怒っているようにもみえるが、そうではないようにもとれた。なんとも言い表せない表情をしている上官に、突き飛ばされたことに対して、抗議しようと口を開いた。
「なっ、に、……!?」
上官の顔が近づいてきたかと思ったら、唇に柔らかいものが触れる。続いてぬるりとしたものが丹念に歯列をなぞり、口内をこじ開けようとしてきた。
今更ながら口付けをされている、と状況を把握したが気持ちが追いつかない。なぜならこの邸宅に来る度に上官に抱かれはするものの、口付けは未だにされたことがなかった。そういうものなんだと思っていたし、その方が関係もあっさりしていていいかと言い聞かせていた。寂しいとか悲しいとかそういうことではなく、ある一種の儀式の形式的な始まりとしてするものだと自分は考えている。
無論、この上官はそういった類のものはすっ飛ばしたり、無視するのが当たり前だと思ってはいたので別段落ち込んだりもしなかったが、ここに来て先ほどの一言がもしかしたら神経を逆撫でしたのかもしれないなんて。
どうしていいか分からず、上官の胸を押し返してみるものの自分より幾分か厚く鍛え上げられている身体ではもちろん押し退けることは出来ず、上官の伸ばされた腕と手に腰を押さえつけられ、余計逃れなくなってしまう。
「んんっ、……ふ、ぁ、んッ……はぁ、んぅ……っ」
奥へと進もうとする舌に抵抗しようと自分の舌を絡めるが、それがより一層水音を響かせることとなってしまい、自分の耳朶へ否が応にも聞こえてくる。時々息をしようと口を放すが、それでも上官の舌は自分の舌を追い求めてくる。咥内を犯され、飲みきれないどちらともつかない唾液が口端から一筋落ちる。唾液を流し込まれる度、嚥下させて飲み込む自分に嫌悪感さえ沸いてくる。
しかし、粘膜の刺激や相手の唾液を飲み込むという羞恥から自分の芯が硬く反応してしまっていることも事実で、押さえつけられられている腰が無意識に動き、上官の股に布越しから緩く立ち上がった自身を擦り付けていた。
「んっ、んんっ……、!っはぁ、」
ようやく唇が離され、粘度が増した唾液が灯りに照らされて糸となる。自分は息も絶え絶えで、肩で呼吸をしているのに、上官は涼しい顔で自分を見下ろしていた。
「元気になってんじゃねェよ」
「お前が、あんなっ……!」
ごしごしと手の甲で口付けされた証拠を消すように口元を拭くが、口付けしたという事実は消せない。自分の自身が勃っていることを指摘され更に恥じらいを掻き立てられ、口付けしたことを揚げ足として唱えるも、反応していることに変わりがないのは揺るぎない現実だった。
上官は嘲り笑いながら喉の奥で笑い、首を長くして耳元に顔を寄せる。吐息混じりの色を湛えた声で、囁くように自分の耳に流しこんだ。
「さっきまで散々ヤったのに、足らなかったか?」
「!」
目を見開いて、思い出す。なぜ眠っていたか。邸第に到着したのが黄昏の前半。それから無理やり飲まされ気分がよくなったところで、眠りそうになったところを引きずられるようにこの寝台に連れてこらされ、上官に相手をさせられた。朧気に覚えているのは上官は抜かずに3回、自分はそれ以上に何度も昇りつめられさせ、指一本も動かしたくなくなりそのまま寝てしまった、ような。
ここに来る度、同じような流れになってしまうので前回来た時のことだったか、今回のことだったかごちゃ混ぜになっている気もするが、上官が言うのだからおそらく本当なんだろう。
自分がどこまでが現実かいまでもよく分かっていない。ただ、初めて口付けされたことははっきりと覚えているし、上官の邸第にいるのも嘘ではない。
「足らない、わけ、ねェだろっ……!」
「ま、どーでもいいがな」
体制からして自分の嫌な予感が当たりそうで、先ほどの口付けの時と同様に抵抗を試みるが、無論あっさり引き下がるような相手ではない。
寄せていた顔を戻し、上官は口元の笑みをほんの少し深めるのと同時に、上半身を起こして着ていた寝衣の襟元に手をかけてするすると脱いでいく。
嫌な予感は無事に当たってしまった。今の自分の顔はおそらく青ざめている。
「ヤんぞ」
開戦の言葉と同時に首元に軽く噛みつかれる。今からは何回達すれば済むんだろうと、明後日なことを考えてみた。
しかし、それは上官の手によってすぐさま快楽に呑み込まれ消波した。


キングダム/桓騎×信