事後はいつも別々に入浴をする。
元下僕信を桓騎は玩具のように抱く事を楽しんでいた。呼び出す理由は別段なく、一通り娯楽は済ませてしまうと暇で仕方ない。それ故に暇つぶしと称して呼び立てては大人しくやってくる信を弄んでいる言った次第だった。打てば響く相手が面白く感じられ、呼び出しては抱くを繰り返し行っていた。
いつも通り事を済ませ、寝台に転がっている信に目をくれず起ち上がる。寝台の下に落ちている被服を拾い、桓騎は普段寝床として使っている室へと戻ろうと寝台から脚を下ろし起ち上がる。声を掛けたところで返ってくるのは雑言だけだった。踏み込んでいない関係に気楽さを感じ、続けていることもあるが時折ふと何かを言ってやりたくなる感情がこみ上げてくる。その何かは桓騎は分かり兼ねているので、今日もこの感情に名前を付けずそのままにしておき室から出て行く。
普段から抱いている娼婦に事に及んだ後に何か声を掛けてやろうとはしていなかった。信と何が違うのかは未だに分かっていない。ただ、遠い過去に近しいものを感じた覚えはある。
桓騎は事後は身を清める事に努めていた。別段湯殿を好んでいるという訳ではなかったがこの邸宅を建てる時に王宮の設計に携わった者が、ものは試しにと設えた所だった。使用してみると存外悪くなく、遠征に出ている時以外はこの邸宅で過ごしては娼婦を呼び寄せ、交接し、湯浴みをする。
引っかけられただけの被服を翻しながら廊下を歩き、時折邸宅の使いの者が一礼をしすぐさま顔を背け足早に自分の横を通り過ぎていく。下着をつけないまま湯殿に向かっているので、至極当然とも言える。主は桓騎自身なので、どう行動しようが構わない。一言注意をしようものなら首が跳ねられると彼らは思っているのかもしれない。
湯殿の前の扉に到着し、戸を押す。何らかの花が炉の中で焚きしめられており、湯殿全体に甘い香りが漂っていた。被服を脱ぎ去り前後の空間か異なるように開けられた空洞を通り抜け、木製の浴槽へと脚を運ぶ。広々と捉えた空間は文様が象られた透かし窓がいくつかあり、光を取り込めるようになっている。そろそろ日が落ちる時間に差し掛かることもあり、外をみると空が赤く染まっていた。
かけ湯を行い、脚を入れる。並々に張られた湯が桓騎の体重で湯船の外へと溢れ出る。はあ、と思わずため息が出てしまった。この瞬間だけは何物にも代えがたい。
片手で湯をすくい上げ、手のひらからこぼれ落ちていく湯を、感情の無い瞳で眺める。西日で輝かしく照射する水面はさらりと落ちていき、何の執着も感じられない。瞼をゆっくりと伏せ、背を浴槽の側面に預けさせた。
「げっ、なんでいんだよ」
足音が背後から聞こえ背中越しに振り返ると先ほどまで交接を行っていた相手が素っ裸で立ちながら至極嫌そうに顔を顰めて、こちらを睨め付けるように目を細めている。
交情を行った後、次に顔を合わせるのは信が帰る時か自分が呼び立てる時なので、日付がいくつも変わっている事が多々あった。桓騎は顔を戻し、言葉を続ける。
「……あ? 俺の屋敷なんだから、居て良いだろ」
腕を湯船から出し、浴槽の縁へと引っかける。その影響で湯が大きく揺れ、外へと溢れ出し信の脚を濡らしたようで、熱い、と呟く声が耳に入った。
「そりゃ、……そうだけど」
続けて、信の納得はしていない不満そうな声が降ってくる。もう一度顔を向け、顎だけで入れと促すと観念したかのように足早に桓騎と対角線上になるように遠回りした。湯の温度が熱いためか、ゆっくりと足先から滑らせるように付けると縁へと腰を下ろす。事に及んでいる室は昼間でも薄暗いためかあまり気にならなかったが、信の体には傷跡が残されている。桓騎がたまに焼けた薄い皮膚に歯を立てたりはするものの、刃で傷つけられたものには到底及ばない。その様子を桓騎はじっと眺めながら、口を開く。
「体力が無いくせして、今日はすぐ寝なかったのかよ」
湯温が熱いのか足先だけで遊んでいた信が弾かれたように顔を上げた。
「直ぐ寝ちまうのはお前がっ」
「俺が?」
「っ……、何でもねェ!」
いつまでたっても初な生娘のような反応を見せる信は、これっぽっちも猥談というものに慣れていないのだろう。ただの言葉だ。そこに感情が乗ることがあっても、関係が著しく変わったはしないのに、羞恥が先に来てしまう信をみて桓騎は信の態度を喉の奥で笑った。
口をもごもごと動かしながらずるずると引きずり込まれるように湯船につかる信が目の端に映る。取り立てて興味は無かったがいちいち動きが可笑しく、視界に映す度に笑いそうになるのを堪えていることに桓騎は気がついた。
確かに信は桓騎の周りには居ない人物で、強いて言うならオギコが一番近しい存在かもしれない。とはいえオギコは噛みついてくることはなく、桓騎を慕いくっついてくるのでまたそれとは違う素質を持っているからこそ興味が惹かれる。
だからといってそこから会話が生まれてくることは無かった。再び湯をすくい、湯船へと落とす。何度か繰り返し、文様が施されている透かし窓を遠く眺めた。
窓からは西日が差している。遠くの空に黒く鳥らしき影が見え、その日差しを受けて水面が小麦の穂が風に揺られている景色を思わせた。
「桓騎」
珍しく信から交接以外でまともに名前を呼ばれ窓から視線を外すと、信の双眸がこちらを向けている事に気がついた。いつから桓騎を見ていたのかは分からないが信がどことなく不安そうな、それでいて何かを訴えかけているとも取れる色が浮かんでいる。こちらに寄ってくることも無ければ、寄せたところで突っぱねられることは分かっているのでそういったことは行わず、短く返事だけをした。
「あ?」
「……っぱ、なんでもねェ」
「そーかよ」
名前を呼ぶだけ呼んでおき、結局は言い止めてしまう信に、桓騎は鼻だけで笑い目線を信から外した。関係性を表していると、目を伏せ交情をしている時の信を思い出す。いつだって名前だけを呼び、欲しいとは言わない。いじらしくもあり、その先を望めば与えてやらない訳ではないが、信が求めようとしてこないのはどこまでそれ以上の関係を求めていないからだろうと桓騎は考えていた。しかし答えは結局分からない。ただ、信がいつも自分の思うように動くから好んでいるという理由もあるかもしれない。
顔を僅かに俯け湯を見ると表情が波打ちながら水面に広がる。泣いているようにも笑っているようにも見えた。目を伏せ、自嘲してみたが水面が変わるはずもない。
「行くぞ」
「は?」
どのぐらい湯船に浸かっていたかは分からないが、先ほどの信の双眸を思い出し小休止していた下半身の奥に熱を感じ、さばりと湯を盛大に揺らし起ち上がる。必然的に信を見下ろす形になり、湯船をかき分け信の側までより桓騎は信の真正面に立ちはだかった。
突然声を掛けられ顔を上げた信は眉間に皺を寄せる事しか出来ず、困惑の表情で桓騎を見上げる。桓騎はそんな信の表情を見やりせせら笑った。
「お前、たかだか1回で足りんのかよ?」
「……クソッ」
信が顔を背け、その勢いで起ち上がり桓騎は機会を逃さず手首を掴んで静止させた。ぐ、と信が息を呑み喉仏が上下するのが見える。結局、求めたいという欲が強いと言うことだろうか。桓騎は喉の奥で一笑する。先ほどの目の色はそれだったか。思った通りに動いてくれる信は桓騎にとって都合が良すぎるとも取れた。たかだか一回吐き出しただけではお互い足りるはずが無いと桓騎は確信していたので予想が当たったことに口角だけを僅かに上げる。
そのまま近くの縁へと脚を掛け、湯船から上がり水滴を気に掛ける事も無く、湯殿を後にする。近くに待機していた使いの者に麻布で軽く身体を拭かれ、桓騎は被服を引っかけて再びあの陽が入らない室へと戻った。