※名有りモブ、男女各1名出てきます
※モブとの恋愛はそれぞれなし
※桓騎は出てきません



(主様と信殿だ)
微笑みあっているなどと程遠い様子が遠目に映る。あれから信は片手で数えられるぐらいにはこの屋敷に訪れており、勇が毎回出迎えることはなかったがそれでも信の方から見つけてくれ、話しかけてくる仲にはなっていた。次に出会った時に、とても感謝されたもののあくまでもあれは言いつけであり勇自身の意志とは無関係と伝えたのにも拘わらず、それでも頭を下げられてしまいほとほと困ったことを思い出す。人懐っこい笑みを浮かべる信は、主に対しては何もかも真逆で常に威嚇をするように睨み付けていた。今は遠目なのでどんな内容を喋っているかは知らないが、勇の目には噛みつく勢いで何かを剣幕にまくし立てているのだけはわかった。
相変わらず主は良く分からなかった。勇とはほぼ顔を合わせることがなく娼婦を隣に侍らせている時は、こちらから避けるようにしている。特にすれ違っても問題はないのだが、なぜか勇は苦手だった。一度だけ裏庭の掃除をしている時に主から声をかけられたことがある。向こうから話しかけられるなどと微塵も思わず、勇は自身に声をかけられ当たりを見回してから自分を呼んでいるのだとわかり飛び上がりながらすぐに礼をし、頭を深く下げる。
またあいつを呼びつけるからよろしくな、とだけ言いその場を立ち去る。わざわざ声をかけにきたのだろうか、と勇は心臓が飛び出すぐらい驚きながらも疑問に思った。そう言った意味で主は分からない。
「何見てるの?」
「ああ、桐」
仲の良い下女の桐が勇に後ろから声をかけてきた。今日の持ち場は分からなかったが既に自分に与えられた仕事を終えたらしく勇は手を止め、桐へと振り返りながら見ていた方向へと顔を向けた。
「さっきまで信殿と主が向こうで話していたのを見ていた」
「また来たんだ」
桐とは一度だけ信に会わせたことがある。会わせた、と言うより桐と偶然居合わせたところに信がこちらを見つけてやってきたのだが。
桐はその後まだ雑務が残っていたらしいので挨拶だけをしてその場を去ってしまったので、一言二言だけを交わしただけで信自身のことはあまり知らないまま今に至った。
「歩いて行ったからもういないけどね」
「信様って主様のこと嫌いなんでしょ?」
「おそらく。本人の口から直接聞いてはないけど」
「断っちゃえばいいのに」
それは勇自身も思っていた。遠くから見ても仲が悪いことがわかるので明らかに主を嫌っているのはわかるが、断らないのはなぜだろうか。本人に尋ねれば恐らく答えは返ってくるだろうが、勇は自分から話しかけないよう男から言いつけられている。
あの後は案の定、男にこっぴどく叱られた。客人を一人で帰すなど何事だと。客人は一眠りしたあと適当に帰ったらしく、また勇は寝ておらず朝餉の準備をうつらうつらと舟を漕ぎながら行っていたため、客人の世話など忘却の彼方にあった。
夜中に呼び出してきたのはそっちだろうと悪態をつきたかったが、そんな態度をとれば屋敷から出ていけと即座に荷物をまとめられてしまう。せっかく見つけた衣食住をそう易々と手放すわけにもいかず、勇は男に文句をつけずただ従うばかりだった。
男も呼び出したくて部屋にきたわけではない。主の気まぐれで呼び出され、客人をどうにかしろと言われたのだろう。気持ちを推し量れないほど勇は幼くはなかった。
「色々理由があるんだろう」
「そういうものかしら」
「信殿からみたら主様は上の者に値するらしい」
「私はそういった事に詳しくはないけど、主様の方がたくさんの兵士を率いてるんでしょ?」
「ああ」
「ならそういうものかも」
勇や桐たちにも教えてくれる者がおり、皆に指示を言い渡している。それと同じような関係がきっと主と信にもあるのだろうと勇は予想した。
秋もすっかりと深まり空は高く川魚のような鱗をした雲が浮かんでいる。雨も少なく、葉は落ちるばかりで枯れ葉の量は日に日に増えるばかりだった。風のない日が続いており久しぶりに掃き掃除ではなく書庫の整理を終えて、勇は男に報告をしにいく途中だった。
向こうから桐とは違う下女が慌てて走ってくるのが見えた。勇と桐は何事かと思い会話を止めて女の方をみると、女は桐の前で立ち止まり勇には聞こえないよう耳打ちをした。女同士でなければいけない会話らしい。
「……えっ?」
女が桐の耳元を離れた途端、桐は目を丸くし女の表情を見やる。女は真剣そのもので桐の顔がみるみる青ざめていくのが勇にもわかった。
「それは、私でないとだめなの? 他に……」
女はそれ以上声が出ないようで、桐の言葉に小さく頷いてからか細く見える薄い肩に手を置いて軽く握る。桐は唇を細かく震わせどうしていいかわからないといった嬉しそうでも悲しそうでもなく複雑な表情になっていた。勇はそれ以上の情報は読み取れず、また下女同士の会話と言うこともあり口を挟まずその場で二人のやり取りを静かに見ていた。
桐は言伝に気が動転していたようで、虚ろな瞳が勇に気がつくとはっと目を開き、正気が戻る。慌てて自分の顔の前で手を振りあからさまに今の様子をごまかした。
「ごめんね、ちょっとぼーっとしてて」
「いいよ。急ぎだろう」
そう勇が声をかけると、桐は顔に翳りを作って勇から顔を反らすように床へ面を俯けた。
「……うん」
いつもの明るい声が突然沈む。両親でも亡くなった時のような声だが、桐からはそういった話は聞いていないのでそれさえも憶測に過ぎなかった。
もう一声何か元気になれるようなことが言えたらと声を出そうとした時、女が先に桐へと声をかけた。
「桐、そろそろ」
「……わかった」
女は肩を強くつかみ、桐を別の場所へと促すように背をこちらに向けさせた。桐の顔は名残惜しそうに勇へと肩越しから向けられたが、女に手首を一度引かれすぐに前に戻した。結局桐に励ませるような言葉をかけることが出来ず、その場から居なくなられてしまい少し落胆した。
一体なんだったのだろうかと勇は立ち止まっていた廊下から次の仕事をもらいに行くため、男の室へと歩を進める。しかし男はいつも使っている室にはおらず、男の室の掃除をしている下女に尋ねると、貴男を探しに出て行かれましたよ、と返事がきた。自分を、と不思議に思い一言礼を伝えて室の外へ出る。男が行きそうな場所はこのだだっ広い屋敷全部なので検討がつかず、どうしたものかと壁に背をもたれかけさせた。
信がきてからと言うもの毎日が慌ただしく過ぎていく。屋敷は普段から故意にしてほしい貴族たいや主の部下、また周りの邑からの村長が訪れる。今までは勇自身が相手をしていなかったのもあり、忙しいとは思っていなかったが、一回限りだと思っていたあの客人が何度も来るとは聞いておらず彼から話しかけられる度に屋敷中の使いの者たちからの噂の的になっていた。心労も重なり、ここらへんで一息つきたいと廊下の朱塗りの柱を眺める。
過剰とも言える装飾は主の趣味ではなくこの屋敷を建てた者の趣味だと男から聞いた。鳳凰が施され、天高く羽ばたいていく様子が掘り出されている。男から鳳凰は楚を象徴する生き物で、かつて秦の南方の夜盗をしていたらしい主にとっては身近な架空の生き物なのかもしれないと今からながら物思いに耽る。尋ねた人物は未だ現れず時間ばかりが過ぎていく。勇は落ち着ける時間が確かに欲しかったがそれは事柄がすべて終わってからであって、小休止では身体も休めない。自分自身で探し出しに行くかと思い始めた頃、男が廊下の角から姿を見せこちらに小走りでよってきた。
「勇、探していたぞ」
それはこちらの台詞、という言葉を奥に留め一度息を大きく吐いてから近づいてくる男に返事をした。
「どうかしました?」
「主様直々に、お前が相手をしてほしいと指名があってな」
「えっ」
一度声をかけられただけで、勇自身のことなど気にも止めていないと思っていたがそうではなかった。まさかの名指しに勇は目を見開いてその事実に驚愕する。男は両袖に両手を差し込みながら言葉を続けた。
「今日も別の者をあてがうつもりだったんだがな。来ているのは知っているだろう」
「主様と歩いている姿をお見かけしました」
「また夜分遅くに訪れてくれないか?」
「分かりました」
助かるよ、と男は言い肩を叩いて室へ戻る。次の雑務の話は持ち上がることなく、これから起こりうる状況に備えて手持ち無沙汰にしておけ、ということだと勇は勝手に解釈をして、その場を後にする。
慌ててどこかに行ってしまった話し相手の桐とは今日はもう話せそうになく、暇を潰すのも一苦労だ。それならば、深夜に備えて寝てしまうのも悪くないと勇は自身を言い聞かせながら割り当てられている室へと足を運ぶ。
また、何か話すのだろうか。淡い焦燥感のような不安が勇の心をじわりと染み広がっていく。
主と信の関係の不穏さをまた目の当たりにするのは、二度と御免だ。