「お頭、ここんとこ機嫌良くねェか」
「……そんな気がしてた」
雷土と黒桜が天幕で酒を飲み交わしながら、ちょうどどこかにいるであろう自軍の将の話をしていた。親しみと愛着を込めて呼んでいる『お頭』という名はいつから呼ばれているのかは知らないが、自分たちを含め定着し自分たちが皆に呼ばせている。
そんな彼はここ最近目に見えて機嫌がすこぶる良い。依然は何かに苛立っているような、あからさまに自分たちと一線引いているような、独りだけ輪に入らず眺めているような、そういった態度を表に出してはいないものの日頃より行動を殆ど共にしていることもあり、彼の態度は霞を掴むような雰囲気があったが、機嫌が良くなったことで、霞がかった霧が晴れ僅かではあるが掴めるようになった、と言った態度を取るようになった。
あくまでも前後で差して変わらない。変わらないのにも関わらず、大きく変わった気がするのは恐らく二人に思うところがあったからだろう。
「でも何が原因なんだ? 皆目見当がつかねェ」
「……あ、機嫌が良くなり始めた時期は分かったかも」
「黒桜の癖にやるな」
「……もういっぺん言ったら、ぶっ殺す」
雷土の揶揄する言葉に物騒な物言いを返してから、ここしばらくあった出来事を思い出してみた。
普段の遠征では、近くの邑から略奪、殺人、強姦をし見栄えの良い女は娼婦として軍で飼うことにしている。黒羊丘の時も勿論そうで自分も略奪を行ったことを黒桜は思い返す。
しかしその後あった辺境警備の時には娼婦だけ取らなかった。邑にはそこそこの数の女がいたはずなのに、強姦は行ったものの女は置いていった。その際に疑問に思い摩論に連れて行かなくていいのか、と尋ねたところお頭の命令で今回はありませんよ、と返されたことがふと脳裏に浮かんだ。もしかしたらこの件と関係しているのではないか、と仮説を立てて雷土に説明する。
「お頭の気まぐれかもしれねェだろ」
「それは……一理ある」
黒羊丘の戦いからそこまで日はたっておらず、また軍が駆り出されることもあまりなく、結論を出せるほどこなしていないこともあり、あくまでも黒桜の見立て、ということになってしまった。熱弁していたのにも関わらず一気に冷めてしまい、そのことに気がついた黒桜は力無く椅子に腰掛けた。
ただの気まぐれなのだろうか。女を集めることをやめたのには理由がありやはり彼の機嫌と深く関係しているのではないだろうか。そう言い切ってみたかったが恐らく誰も信じてはくれないだろう。
黒桜は陶器に注がれた酒に移る自分の顔を注視した。弱々しい木製の机の脚は対面にいる雷土が酒を口にするために腕を無遠慮に上げ下げする度に水面が揺れて自分の顔が揺らぐ。
「娼婦に飽きたとか」
「それはない。この間抱いてるのをみた」
「だよなぁ。うちから追放してねェってことは、まだ抱くってことだよな」
黒羊丘の後にも天幕に娼婦を呼び抱いているのを黒桜は半ば羨ましく見ていた。自分も彼に抱かれたい気持ちはあるのに、彼は自分を抱こうとは思っていないらしく、何度も誘っては断られるを繰り返している。しかし諦めきれず折を見て再び誘おうとは思っているが。
「お頭なに考えてるか分からねェとこあっからな」
「……」
それには同意しかない。頭の回転力を自軍の誰よりも持ち合わせている彼は、同時に何を考えているのか読めないことが多々ある。不可解ではあるが魅力的でもあるので掴み所がないといえる。それが黒桜を惹きつける彼の好きなところの一つだった。雷土が酒に口をつけ一口飲むのを見て、はあと大きくため息をついた。
「やっぱ機嫌がいい理由、分かんない」
「まあお頭だし仕方ねェって」
雷土のなぐさめは届かず用事で出払っている『お頭』のことで頭も胸もいっぱいになる。目を閉じ、彼が早く帰ってこないかと黒桜は待ちわびるのだった。


お頭の機嫌が良いよねなんでだろうねって話