ウェンディにギルドを出る前におまじない程度でも良いからと頼んで酔い止めの魔法を掛けてもらった。幸を奏したのか、それともウェンディのお陰かは分からないが、汽車に乗っても余り気持ち悪くならずに済んだ。
ホームに降りて、改札に向かうと手を軽く上げてスティングがナツを呼んでいた。
さすが剣咬の虎のギルドマスター。周りの人々が振り向いているのは気のせいでは無い。只でさえ目立つ容姿なのに、今年の大魔闘演武では二位だったものの、それまでの六年間連続一位。しかもその剣咬の虎の実力者ともあれば名が知られて居ないはずがない。
ナツはナツで今年の優勝したギルドとあって、来る途中にそこそこ声をかけられたが、やはり此方は地元ではないので、スティングの存在は桁違いと言ったところだ。
酔ってない?大丈夫?と一通り心配されたがウェンディの下りを話すと納得したらしく、荷物ぐらいは持つよ、と言って断りを入れるよりも先に手から強引に取られた。こういうところ、モテそうだよなとぼんやり思いつつスティングの隣をくっついて歩き始めた。
駅から暫く歩くと、スティングの住んでいる家に到着した。相変わらず自分のゴチャゴチャしている家とは違い、物が余りなく殺風景だなと言う感想を抱く。
ひとまず荷物を下ろそう、と着いた途端スティングにキスされた。舌まで入れられて、吐息が漏れたが直ぐに唇は離された。
何、溜まってんの、と軽口を叩くとスティングは色々と、と目線を逸らす。ギルドマスターも大変らしい。

今日はデートという名目で、スティングと一緒にいる。デートって直球過ぎやしないかと聞くと、スティングは恋人なんだからいいでしょ、と軽々と言ってのけた。なんだか頬がこそばゆくなっていくのが分かった。
ナツは今までそう言った約束を自分から取り付けるのが恥ずかしくてしてこなかったが、今回は珍しく自分から誘ってみた。次のクエスト終わったら、会いたいんだけど。そういうと彼は嬉しそうに笑い、いいよ、じゃあこの日ね、と颯爽と取り決める。
スティングは恋愛経験が豊富なのか、恥ずかしくもなさげに手帳にナツさんとデート、と書き込んだ。誰かに見られでもしたらどうするのだろうか。書き込んでいない此方が慌ててしまう。
そんなナツにスティングは苦笑しながら、ハートマークで日付を囲う。うわっ。見ている此方が恥ずかしくなった。

身を軽くし、一服したのちに玄関へ行く。そういえばどこへ行くか決めて無かったのを思い出し、スティングはナツに尋ねた。

「どっか行きたいとこある?」
「ねぇ、かな」
「無いんだナツさん。何処へでも連れて行くよ?」
「うーん…」

そもそも、デートプランなんて考えてもいなかった。会えればいい、と思っていたのでナツはスティングに問われて少し考え込む。
勿論その事をスティングには言わない。言ったところで調子付かせると鬱陶しいからだ。鬱陶しい所が、嫌いな訳ではないけどナツの気恥ずかしさの方が先。鬱陶しいは二の次の理由。

「あっ、海」
「海?」
「海、行きてぇ」

スティングのギルド、剣咬の虎が立地されているこの土地は海が近い。確かに汽車から降りるといつも潮の香りが鼻について、マグノリアとは空気が違うと感じていた。心地良い風に乗ってくる、海の匂い。
折角の機会だし、一度見てみたい。海で特に何をする、というわけでは無かったが、たまにはゆっくり歩いて見るのもいいかもしれない。
スティングは少々思案するも、直ぐに頷く。なら、今日のデートは海ですね、と笑った。



* * * * *



海岸までは意外と近かった。スティングと喋っているとあっと言う間についた。スティング曰わく、ナツさんが一緒だから近くに感じる、と言っていた。要するに二人だと直ぐに時間が過ぎてしまうということだろうか。
視界に飛び込んで来た白い砂浜が目に痛くて、目を細める。キラキラと太陽光に反射する海面と、砂浜。ギルドの面子と合宿と称し何度か遊びに来たことはあるが、季節が外れた海には一度も訪れたことはないので、少し新鮮に感じる。
海からの風は穏やかで、暑くもなく寒くもなく丁度いい気温と陽気に恵まれた。
二人は着くと、まずは砂浜に足を踏み入れる。柔らかい砂に足を取られて思うように前に進めない。今は丁度干潮で、濡れている砂浜より少し遠くに波が泡だっている。
ナツは独りで波打ち際までサンダルで歩く。押しては返す波を見ているのが、なんとなく楽しい。
足を入れてみたくなったが、濡れるのは少々面倒臭くなりそうなのでやめておいた。
スティングは少しはしゃぎ気味なナツを見て、新鮮だと思う。普段から明るいものの、二人で居てもあまりはしゃぐ事はないので、意外な一面が見れて嬉しくなった。

「楽しい?」
「まあ、…うん」
「海、来たかったの?」
「なんとなく、今日は来たかった」
「そっか。マグノリア海近くねェから?」
「そんな、とこ」

いつも潮の香りのするこの海を一度見てみたかった、と言えばスティングは満足するのだろうか。やっぱり会いたかった、と言う本当の自分の気持ちを伝えるべきなんだろうか。
スティングは怪訝な顔をしてナツを見ている。視線が痛いのは良く分かるが、やはり面はゆいので、言いたくない。スティングと居ると女々しい自分が全面に出てきて嫌になる。
ナツは俯いて唇の内側を噛み、手をぐっと握った。

「歯切れ悪いけど、なんか他に理由あんの?」
「ある、…けど…」
「けど?」
「…女みてぇな理由、だし」

ナツの言わんとする事がいまいち良く分からなかったようだったが、スティングはそれ以上聞こうしてこずら踵を返した。
ゆるゆると、長い海岸線を波打ち際にそって歩く。特に言葉も交わさずゆっくりとした時間が流れる。カモメの鳴く声と、波の音だけが聞こえてくる。
心地良い良い時間。今日という1日は短いけどこうして時間を共有出来ることが嬉しい。
素直にそう言えばいいものの、言えないのは自分の性分と残っているプライド。女みたいな事を言っても幻滅させてしまうのではないか、と少し心配な所もあった。

「あー、ナツさん」

少し前を歩いていたスティングが、突然立ち止まって此方に向かって数歩歩いてくる。急にどうしたのだろうと思う前に、いきなり手を握られた。
突然の事にぎょっとしたが、スティングの顔をみると微笑みをたたえていた。

「走ろ」
「へっ?!」

思いも寄らない言葉に間抜けな返事をしたナツの視界がスクロールし始めた。
スティングに引っ張られながら遅れ気味に駆け出す。手は繋いだまま、砂に足をとられながら不格好に走る。サンダルの中に砂が入ってきてザリザリする。
少し後ろを振り向くと走ってきた足跡が、濡れている砂浜を象っている。そして押しては返す波に
そんな事など気にも止めずに、スティングは腕を引っ張りながら走り続ける。時々笑い声が聞こえるのは気のせいだろうか。
手を引っ張られながら走る。どこかで体験した事があったような、無かったような。ルーシィにこんな事をしたような、してないような。なんだか可笑しくなってきて、思わず噴き出してしまった。
と、ここでスティングが急に立ち止まった。ナツも反動でスティングの隣に足を留める。先ほど歩いていたところから、50メートル程走っただろうか。

「はー、…走った」
「走ったのは分かるけどよ、なんで走ったんだよ」
「んー、なんとなく?」

なんとなくって、なんだ。そう突っ込みを入れる前に、スティングが喋りだす。

「オレさ、ナツさんが、会いに来てくれたから嬉しくてテンション上がってんスよ。この間あった時、会えるのいつ、って初めて聞いてくれたから柄にもなくすっげー嬉しくてさ。今日楽しみで、夜眠れなかったんだぜ?ガキみてぇだろ?だから、ナツさんの手引っ張って走ってみてーなって。ガキなら、こうするかなって思ってさ。やっぱナツさんとなら楽しいし、こういうのも悪くないなって。海くんのも、いいな。次回からデートコースにいれとくね」

スティングが喋るのに呆気に取られながら、ナツは目を丸くしてスティングの顔を凝視した。スティングは怒るでもなく、かといって笑う訳でもなく淡々と話した。
嬉しい、という気持ちは此方に伝わってくる。走るのも嫌いではないし、手を引っ張られるのも、恋人らしくて少し嬉しくなったのも事実。そう思い出し、ナツは少し頬を赤くした。
やはり、スティングは常に自分の事を第一に考えてくれている。その事が素直に嬉しい。
なら、自分もやはり、素直に伝えるべきなのでは。
ナツは握られていない手で拳を握りしめ、意を決して口を開いた。

「あ、あのな、」
「ん?」
「オレも、会いた、かった」
「…ん?誰に?」
「その、スティング、に」

ナツの勇気を振り絞った素直な告白に目を瞬きだけさせているスティングを、ナツは訝しむ。

「聞いて、」
「ッ……!!えっ、何、えっ、マジで?!ホント?うっわ、まじかよ…っあー、やべぇ、ほんっとやばい」

ナツが自分の話をしっかり聞いてくれと、頼み込もうとしたその時、スティングが突然その場にしゃがみ込んだ。気分でも悪くなったか、と思ったが違う。セットされている綺麗な頭髪の隙間から見える耳朶が赤く染まっているのが見える。
普段から良く自分の言葉で赤くなったりする事は間々あるが、これほどまでに赤くなったのは初めてみた。
最初から言えば良かったのか、いやいや、結果オーライなのか。何にせよ最大限に喜んでいるのは良く分かる。

「今、顔上げらんねェ…こんな、クソだっせェ顔ナツさんに見られたくねェよ…うっわ、ヤバいって」

スティングは自分の心に整理をつけているのか、譫言のように独りで喋っている。
自分の気持ちが伝わったようで、嬉しいような。ここまで喜んでもらえるとは思ってもなかったので、ナツまで照れが入ってきてしまった。
照れを無くすために辺りを見回す。どうやら誰も居ないようでよかった。こんな青春活劇みられたら、自分までもが耳が赤くなる自信がある。
そんな事を今繰り広げているのだと、改めて思うとやっぱり恥ずかしい。
若さ、ということにしておきたい。

「おーい、スティング」
「あー、もう大丈夫。ナツさん、ヤバいよそれ」
「会いたかったっての?」
「うん。すっげぇ、嬉しい。ナツさんも同じ気持ちだったんだって、ニヤけが止まらなくてどうしようかと思った」

のそのそと立ち上がったスティングは、顔を引き締める為なのか、握っていた手を放し、自分の頬を勢いよく一回叩く。パンッ、と小気味の良い音が耳に届いた。そして、今度はナツの握られていなかった手も取り両手を前にし、スティングの両手で包み込まれた。あったかい。
ナツは結構恥ずかしいかも、とスティングのニヤけ顔を想像する。普段もニヤけていたりするのは気のせいだろうか。

「あー、ヤバい。今ならオレ逃避行できそう」
「逃避行?!」
「うん、何なら本当に逃避行しちゃう?」

そう言ったスティングの顔は笑みが消え、眼光が鋭く光る。存外、本気の台詞のようだった。
ナツはその真剣な顔つきにドキリ、と心臓が跳ね上がる。先ほどまでの真っ赤になっていた顔とは打って代わり、男らしい覚悟を決めた顔。
そのギャップにどぎまぎしてしまう。自分がスティングに弱い事をよく分かった上で行っているのならば、確信犯。ひどいものだ。
ナツはこんがらがりそうになる頭を必死に回転させて言い訳を考える。

「そ、っあっ、!ギ、…ギルド、どっ、どーすんだよ」
「そうでした」

ナツの言い訳に、キョトンとさせてから顔を破顔させた。この、笑顔に弱い。完全に分かっててやっているとナツは確信した。
スティングはこういう所が狡猾で、卑怯だと思う。と、同時にそれが武器でもあり、自分には無く、自分が惹かれる性格の一つというのもよく分かる。この押し引きが出来るからこそ、ギルドマスターが勤まるのかもしれない。

「ギルマスじゃなかったら、してくれた?逃避行」
「…どーだか!」

照れを隠すように、つっけんどんで返事をしてしまった。ナツはこれ以上スティングを見ていると逃げてもいいか、という気持ちがもたげて来そうで怖かった。言わなければ良かったかも、とここで初めて後悔する。
惚れた弱み、というのはこういう事を言うのかもしれない。ナツははぁ、とため息をついてスティングに向き直った。

「腹減ったから、飯食い行こうぜ」
「そうですね。ナツさん、何食べたい?」
「まずは炭火!」

包まれていた両手はすでに離されて、手を繋がれていた。指を絡めて、愛おしみながら。へへっと、ナツはスティングに笑いかける。
この恋人が、また一つ好きになった。そんな海での話。


君に会いたくなったら