※多少の流血注意


呼び出しはいつも突然だ。こちらだって兵の調整や、練兵、また演習会等が無いわけじゃ無い。それにも関わらずうまく隙間を縫って呼び立てられるその情報力は一体どこからくるのか教えてほしかった。とはいえ直接聞き出したところで、はぐらかされるだけなのだろうが。いつも呼び出される相手の顔を思い浮かべながら、眉間に眉を思い切り寄せて不快な顔を信は隠さない。
こういう関係になってから暫く立つ。なりたくてなった関係ではない。あまりにも理不尽すぎる上下関係にうんざりするが、それでも自分より上者なので従う他無かった。
はあ、と小さくため息をつき前を向き、相手の邸第につく。既に何回か来ているので、見慣れてはいるものの、目の当たりにする度に大きいという感想を抱いてしまうのは否めなかった。
敷地の境界に巡らされている塀の出入り口を通り抜けると、きゃあきゃあと自分自身とはまるきり縁のない女達の声が聞こえる。顔を上げ、そちらを見ると呼び立てた相手と女達が戯れているのが遠目でも眼に飛び込んできた。
信を呼び出した相手――桓騎は目立つ容姿をしている。
手入れされている黒髪、整えられている眉と力強い眦、筋が通っている鼻筋に形のよい唇はいつも余裕を携えている。極めつけはその鍛え抜かれた体格。遠目からみても華があり、その容姿は良くも悪くも抜群に目立っていた。
そしてその桓騎の肩より低く取り囲んでいるのは光沢のある長い黒髪で、刺繍が施されており絹で作られているであろう召し物を纏っていた。呼び出しておいてこれはいったい、とさらに信は口を引き結ぶ。
「よぉ」
桓騎がこちらに気がついたようで、手をあげた。歩みを早くするのも釈然としないので敢えて速度を落とし、足をそのまま進める。きゃあきゃあ言っていた女達は桓騎に何かを言われ、手を振りながらどこかへ行ってしまった。まるで蜘蛛の子だ。
信はその様子を横目で見ながら桓騎の元へと到着した。腕組みをしたまま待ち構えられており、まるで出迎えられたようでそれでまた腹立たしい。信はここについて気分が降下していく一方で、何一つ面白くなく感じている。
「いいのかよ、帰らせて」
「もう済んでる」
「……そうかよ」
桓騎に対して会うなり開口一番、彼女たちにもう構わなくていいのかを尋ねてしまったことを後悔し、心の中で舌打ちする。
桓騎の返事に含まれている言葉の裏側をなんとなくくみ取ってしまい、素っ気ない返事をすることとなった。もっと自分がなんだあの女は、と感情的に問い詰めれば桓騎はなんと答えるのだろうか。気になったが胸の内にしまっておく。
おい、と桓騎が何かに声をかけて、ぱたぱたと足音が遠くから聞こえてきた。なんだろう、と首を伸ばすと使いが何名か出てきて、木の皿に盛られた料理と酒を運んでくる。
いつも到着して早々料理と酒を飲ますのは恒例行事となっている。料理の腕がいいのか、酒が旨いからなのかはわからないが決まって自分の舌に合うものばかりが出され、ここにくる唯一の楽しみでもあった。
「座れよ」
「……」
自分たちが立って会話している隣の木製の机の上に料理と酒が置かれ、桓騎に促されて椅子を引き腰をかける。向かい合って座る形になると、どうしても相手の顔をみることとなりいつも落ち着かないが、今日は輪をかけて気持ちが何故かそわそわした。
酒器を手にした桓騎が、信のために用意された陶器に酒を注がれた。これもまた一つの形式で決まって、必ず桓騎から酒を注ぐ。過去に一度自分でやるからいい、と断ったのにも関わらずやりたいようにやるが理念の桓騎には聞き入れてもらえずそのままずるずると端から見たら奇妙な構図が描かれていた。
桓騎が自分の器に酒を注ぎ、そのまま口に運ぶ。それが合図で信も陶器に口をつけた。相変わらず雑味が少なく、旨い。確かに舌触りがよく、香りも高く旨いはずなのだが今日の酒は何故かおいしいと思えなかった。
ちびちびと口をつけながら飲んでみるがやはり今日はいつもと違う。普段ここで飲む酒は自分が外で食べた時よりも美味しいはずなのに、理由は分からなかった。運ばれてきた料理に手を伸ばし、一口囓ってみるもののあまり味がしない。そんなはずはないのに、ともう一口頬張ってみたものの、やはり全く同じだった。
酒を飲む気にあまりなれず、かといって食べる気にもなれず、動かすのもおっくうだった顔を無理矢理横に動かし中庭に広がる景色をながめる。石畳が敷かれ殺風景ではあるが稽古ができそうな広々とした庭は嫌いじゃなかった。いつか自分もこのような屋敷を持つのだろうか。それは数年後が遠い未来なのかは分からなかったが、ぼんやりとした未来を描こうとするも酒の所為か、この落ち着かない感情の所為で思い描けない。
どうしてこんな気持ちになるのか。信には皆目見当がつかない。多少の困惑が顔に浮かんでしまう。その顔を前に戻し桓騎をみると、同じく庭を眺めながらゆったりと椅子に肩肘を置き陶器を手にして酒を飲んでいる。
会話は無く、時だけがゆっくりと進んでいく。会話を多く交わし論戦や時々熱くなりすぎて喧嘩にもなる飛信隊の仲間とは違い、桓騎はあまり会話を好まないようで二人でいるときでも一人で何かを思案していることが多かった。
また抱く為に呼ばれた、と信は思っている。いつも呼ばれる時は必ず桓騎に抱かれる。そこまでが一つの決まり事みたいなものだった。だから今日もそのつもりでいたくはなかったが、そのつもりで来ている。しかし先ほどこの邸第に来てからというもの、別に自分でなくてもいいのではと言う気持ちが腹中の大半を占めていた。
信はがた、と椅子を引き立ち上がる。その音にさすがの桓騎もこちらへ顔を向けた。
「……どーした」
「どうしたも、こうしたもねェよ。帰る」
意を決し、立ち上がり端的に理由を話した。桓騎は手にしていた陶器を机の上に置き、前腕を机上におき、真正面で信の顔をじっと見ている。そこに感情が乗っているかは信には分かり兼ねた。表情が読めず、しかしこんなことならもう帰宅もしたい。それは確かな心情だった。
「……俺一人、居なくたっていいだろ、別に」
目前で捉えられて、視線を外し少し下をみながら、ぼそりと聞き取れるかどうか分からないぐらいの小さな声で呟いた。
そう、あの女たちの輪に自分はいなかった。居なくて当然で自分にはいち軍の将で、忙しくしている時もある。この男お抱えでもない。にも関わらず呼びつける目の前の男の心情がまるで分からず、拗ねている。そう思いながら呟くことで自分に言い聞かせていた。
視線をゆっくりと戻そうと桓騎の表情を盗み見る。吸い込まれそうになるその黒曜石のような双眸でこちらを精察されているのは、非常に居心地が悪い。
「クソ下僕」
この男はいつだって名前を呼ばない。発せられた言葉が自分を指しているのは否が応でも知っている。今は土地をもらい、身分も変わった。言ったところで変わりはしないだろうが、自分の沽券にも関わってくるので気は進まなかったが顔を上げ、強制的に桓騎の面持ちを伺う羽目となる。
「そうやって、呼ぶ」
「帰す訳ねェだろ」
目元がゆっくりと上がったかと思えば、桓騎も椅子を引き厳かに立ち上がる。何をするのか分からず、信は身構え桓騎の様子をただ観察することしか出来ない。一歩一歩とこちらに近づいてくるので、思わず身を引き足の裏を引きずりながら後ずさる。ざり、ざりと足を後ろに引く度に石畳と細かな砂がこすれる音が耳障りだった。
ついに白壁の外壁に肩が触れる。ひんやりと冷たい、その漆喰の壁にはもう行き場がない。それでも桓騎はまだにじり寄り、腕を上げて壁際にいる信を逃げられないように前腕を壁につく。漆黒の後れ毛が頬の横まで垂れ下がり、もう片手は自分の顎に手を掛け、人の悪い笑みを浮かべながら自分に顔をぐっと近づけた。鼻先が触れ、息づかいが聞こえてくるほどの距離で、顔を背けようにも背けられない。背けたところで馬鹿にされるのも癪だった信は、一先ず声を出そうと、からからに乾いている喉へ唾を大きく飲み込み、ぐっと腹に力を込めて気力を振り絞りなんとか声を出した。
「ん、だよ」
思っている以上に掠れた声が出てしまい、口を塞ぎたくなる衝動に駆られた。張りぼての気丈な振る舞いにもちろん桓騎はどうでも良いらしく、鼻で一笑だけすると自分の顎に掛けていた手を顎から外す。今度は信の顎に手を掛ける。節が太く、長い指。改めて自分とは幾分か年上の、それでいて翻弄させる。その厭わしい手は信の顎に指を掛け、少しだけ上を向かせる。
信は絡み合っていた視線を解こうと、一瞬だけ眼を反らしたが。
「俺から、逃げんのか」
え、と瞠目すると同時に声を上げようとしたが唇に自分より体温が低く、そして柔らかいものが触れていることに今更ながら気がついた。普段口付けなど一切してこない桓騎の唇が自分の唇に当たっている。信は驚く他なかった。逃げるなど一塊の将であると自負している信はそんな尻尾を巻くようなまねをしているつもりは無かったし、今日は気分が普段とは違っていたから、帰りたかっただけだ。もちろんこのただで帰してくれるはずはないと高をくくってはいたが、まさか唇を奪われるなんて思ってもいなかった。
などと考えているうちに、少し開かれている歯列を無遠慮になぞりへ桓騎の舌が侵入をしてくる。桓騎の舌から逃げようと少し引っ込めていた舌を捉えられ、形をなぞられる。その感覚に脊椎がぞわりと肌が泡立ち、性器を刺激する。奥へ奥へと舌差し込まれ、信は目を瞑りやり過ごそうとするも檻に閉じ込められ、逃げたくても逃げようがない。されるがままの舌は次第に従順に絡め合う他なくなっていた。
「んんっ! んぅう……ッ、んん、ふっ、……ぅんんッ、……っ」
顎から指を外され、後頭部に持っていかれた手でより熱を分け合う熱を分け合わされる。時折、性行為にも似た水音が庭に響いた。使いの者は外にはおらず、二人きりなのにも関わらず、酷く羞恥を掻き立てられるのは寝台とは違う場所だからだろうか。脳天がふわふわしてくるその甘美な口付けに行き場の無い手はぎゅっと襤褸の衣服の裾を掴んでいたが、どうすることも出来ない。何度も唇を離されては角度を変え、咥内を貪る口付けに信は絆されそうになる。
どのぐらいの時間がたっただろうか。ようやく唇が外され、唾液が銀糸となって一筋垂れ落ちる。すっかり力が入らず、壁にもたれ掛かりながら信は手の甲でお互いの体液でべとべとになった口周りを拭った。長い口付けに息が上がってしまい、蕩けた顔で桓騎の顔を見上げると後頭部を押さえつけていた方の手の指で口端を拭っているのが視界の端に見えた。
息を整えようと何回か深呼吸しようと息を大きく吸おうとしたその一瞬、桓騎に自分の手首を強く握られ、もたれ掛かっていた壁から引き剥がされた。
信が思っている以上に強く握られている手首と、突然掴まれたことに対して抗議の一つでも言ってやろうと口を開いて制止するよう言ってみたが、桓騎は何も喋らず、邸宅へ足を運んでいく。桓騎とは歩幅が合わない信はそれについて行く他無く、引きずられるようにして邸内に入っていく。そしていつも行為が行われる室へと入り、寝台につくなり強く握られていた手首から指が外され、乱暴に押し倒された。低く硬いその寝台に転ばされた衝撃が直接信の背中に響く。
「痛ェって! なに、す」
流石に抗議しようと怒気を孕んで声を荒らげ、眉根を寄せて桓騎を睨んだ。しかしそんなことを意にも介さず押し倒されたかと思えば今度は仰向けになっていた身体をひっくり返され、うつ伏せた姿になった。このままでは息が苦しいので手をついて寝台を押そうとした途端、桓騎に後頭部の襟元を思い切り引っ張られ必然と手をつく形になった。何が起こっているかわからない信は肩越しから顔を見ようとしたが、襟元が大きく下げられ、ひんやりとした室内の空気で外気に触れていることに気がついた。
困惑しながら後ろから覆い被さっている桓騎を見ていると、桓騎は何も言わずその下がっている襟元に顔を寄せ、僧帽筋を舌で嬲りはじめた。先程口腔を犯していた舌は今度は首を辱めようというのか。思考が全く読みきれないが、着実に神経は昂っていくのがわかる。
吐息が漏れそうになるのを押さえようとついていた片手を口元へやろうとしたその節、ぴりっとした痛みが走る。まるで何かにかじられるような痛みはじわじわと後から効いてくる。
「いっ……!! ほんと何すんだよ、お前」
身を急いで引き上体を翻し、前腕を寝台に突き少しばかり身を起こす。首の後ろに噛まれた部分に手を当て、前に戻して確認すると指先に若干ではあるもの戦場と同じ臭いが滲んでいた。この男は何がしたいのか。信はただただ戸惑うばかりだった。
「てめェは俺の好きにされてろ」
桓騎の冷えきった視線で見下されているのは、恐らく、間違いではない。


キングダム/桓騎×信