今日も今日とて呼び出される。そんなに暇なら自分ではなく、女を呼べばいいのにと信は毎回思う。軍で娼婦が認められており、また相手が気に入っているであれば問題無いのでは。大人しく呼び立てに従っている自分もそれまたどうなんだ、と横に置いておき大股で抗議するかのように桓騎の邸第に到着する。
対して喋ることはない。いつも酒を飲み、会話らしい会話もなく寝台へと向かわされる。相手に付き合わされ、散々啼かされ、帰る時になれば何故か見送る。そういった関係がもう一年ほど続いていた。だらだら続けて居るぐらいなら、切ってしまえばいいものを男は切ろうとしない。最初の数回で、黒羊丘の際の同士討ちの禁の話はとうに終わっている。だったらもう会わなくて良いはずだし、男にとって自分は忌み嫌っている相手なのだから招来だって終わっていいはずだった。
「無い頭使ってんなよ」
「あ?」
酒が入っている三脚の酒器の取っ手を手に取り、男が自分の目の前にある陶器へ注ぎながら言ってのけた。言い方に明らかに馬鹿にしている節があり、信は眉間に皺を寄せて顔を険しくさせた。言わなくていいこと言うこの男の言い草が大嫌いだし、会っている中で好きになることはまずなく、より嫌悪を募らせていた。
「適当な事考えてたんだろ」
「お前には関係ねェ」
「まぁな。弱小隊の隊長様が考えることなんて、たかが知れてる」
お前も飲むか、と差し出された酒器を引ったくるようにして、括れた部分を引っ掴み信が使っていた陶器に遠慮無く酒を注いでいく。
その注がれていく酒の様子を桓騎の深い黒目の双眸はじっと見つめていた。自分に注視されていないとはいえ、ほんの少し含羞を浮かべる。その視線が交接と同じ色を帯びており、信が僅かに思い出したからだった。
まるで自分からあれを行いたいみたいじゃないかと一人で頬を赤らめ、頭部を横に数回振り払って酒を煽る。信の一人芝居に様子に、桓騎が喉奥で笑うのが耳に届いた。
「何笑ってんだよ」
「お前が変な顔してるからだろ。ああ、それはいつもだったな」
呼び出される中で一つ分かったことがある。口数が多い日は気分がいいと言うこと。今日は桓騎にとって良い日らしい。なら不機嫌な日はと言えば、一緒に飲むことなく自分が邸宅に着いて直ぐに交接を行うことが稀にあった。そういう日は機嫌が悪いらしい。顔には出さず、声色もそこまで変化しない。だからこそ態度で感じ取るしかなかった。
自分はどうだろうか。一つどころか百ぐらいの癖が見抜かれていそうでそれはそれで腹立たしい。どこまでいっても互角にならないこの力関係に嫌気が指す。
陶器に入っている酒の水面が揺れる。のぞき込むと自分の顔が映し出され、持っている手のせいで波打つと情けない表情が見えた。
関係に終止符は打てるのだろうか。それは自分が知りたかった。
「酒も飽きたな。行くか」
「……」
がたりと椅子の脚が音を立てて引かれ、桓騎が机上に手をつき起ち上がる。首を縦に振って返事をしたらそれは期待していることと取られてしまうし、嫌だといえば強引にでも連れて行かれるだろう。ここは無言を突き通すしかない。仕方なく自分も立ち上がり、既に先を歩く桓騎の後ろを追う。黒い装束を身に纏い、裾が揺れ動く。その様子を目で追いながら廊下を歩く。
室に着くまでは特に喋らない。隣で一緒に歩く訳ではなく、特に目の前を闊歩する男は雑談を好む訳ではないので必然的に会話が減るのは当たり前だが、それでも時折寂しく思うときもあった。もう少し踏み込めたら何か違うのだろうか。両手ではもう数え切れないほど会っているのに距離は遠い。
室の前につき、桓騎が扉を開け入っていく。続いて信も脚を踏み入れた。この室に入る度に、炊かれている香炉の匂いが気になってしまい鼻で大きく吸ってしまう。季節の変わり目と言うこともあって、前回来た時とまた匂いが変わっていた。
普段纏っている匂いとは異なった香りが好きなのだろうか。男の好みは知らないが、きっと気に入っているのだろう。でなければ、こんなに気に掛けるはずがない。
「突っ立ってねェで、こい」
意識が桓騎から逸れていたことに気がつき、いつの間にか相手は寝台の縁に腰を掛けていた。膝に肘をつき、立ったままの自分を見澄ましている。余裕な態度が癪に障り、眉間に皺を寄せながら無言で大股で寝台へ行き、目の前にわざと立ちはだかってみる。桓騎が表情を確認するように顔をゆるゆるとあげ顔を視線が真っ直ぐに交わった。
「んだよ」
「いや?」
腕が伸ばされ、腰に手が巻き付かれる。ぐっと引き寄せられさらに距離が近づく。今にも口付けできそうな距離だった。
最初こそこういった接触を強く拒んでいたものの、流れとしては次に交情が行われるのが常なので拒絶したところで無駄に終わることを学んだ。無気力になったと言っても過言ではないが、それでも腕の中で突っぱねるようなことをしなくなっただけまだ良いと思って欲しかった。
片膝を寝台に付け、顔が目の前に来る。腰を抱かれていない反対の手が顔をべたべたと触り輪郭に触れてくる。それから親指で唇を数回なぞられ、ふにゅふにゅと優しく象られた。この邸第に訪れた際に通常ならこんなに優しく触れられることがなく、信はほんの少し困惑した。気が変わったのだろうか。この男に限ってそんなことがあり得るのだろうか。
「かん、……んッ、ぅ」
名を呼ぼうと思い声をかけようとしたその時、唇を触られていた手が関節辺りを強く掴み引き寄せられ桓騎の唇に触れる。何度か下唇を食まれ、舌先でなぞられる。皮膚が薄く、少しかさついている皮を一枚一枚丁寧に象られ、ゆっくりと薄く開いた口唇の間を割って侵入してきた。
態度も自分を触る手も横暴で痛みが常について回るのに、この時ばかりは酷く優しくされるのがまた際立ち、苛立ちを覚えた。抵抗しようにも腰骨を押さえ付けられまたその手が桓騎の身体に寄せようとしている。腰を頑張って引いてみるものの、力の差は歴然で全く話にならない。体格差と力量の差をむざむざと見せつけられ、それがまた気に障る。
「ッ……んんっ、」
口を塞がれ、鼻でしか息が出来ずまた責めてくる舌をどうにかしようとしてしまうため、呼吸がおろそかになり時折息苦しくなる。ぬるりと這いつくばりながら生き物のように舌が入り込み、口蓋を奥から手前へと丁寧になぞられる。歯の裏側を縁取り、それから自分の舌上へ沿わされ溝を確認するかのように行き来させる。胸を押し返すように腕を伸ばし一度唇を離し体勢を立て直したかったが、それもさせてくれず余計息苦しくなるばかりだった。
「んぅ、……ん、んッぅ」
桓騎の舌がようやく自分の舌を絡め取る。縦横無尽に好き勝手動き回り、逃げようとする信の舌を追いかけ、捕まれば離さないと言われるように舌裏を愛撫し舌先を何度も徹底的に責め落とす。流し込まれてくる唾液が飲み込めず、口端からこぼれ落ち口周りをべとべとに汚していく。
一度唇を離されたかと思えば、舌先を甘く吸われどこにも行き場がなく自然と熱が集まってくるのが分かってしまう。逃げ場のない熱さをどうしていいか分からず、押さえ付けられている腰をゆるゆると動かして熱を逃そうとするが、それも叶わない。生理現象とは言え口付けだけでこんなに硬くしてしまう自分にほとほと呆れてしまうが、それもこれも全部交合のような口付けをしてくるこの男が悪いのではないか。
「ッ……はぁ、……クソっ」
「相変わらず、可愛げが全然ねェのな」
「あってたまるかよ」
そんなものがあれば目の前の男以外の者にきっと見せるだろう。こいつだけには絶対に可愛げなんて見せるものかと睨め付けながら溢れた唾液を手の甲で拭い去る。未だに寝台に寝転ばず、口付けを交わしているのもそれはどうなのかと頭を一瞬掠めたが、それを肯定してしまうと自分がまるで交情を待ちわびているようで頭を振り内心を否定する。
その振った信の後頭部を掴まれ、ぐっと引き寄せられ桓騎の吐息がかかるぐらい、そして再び口付けが交わされるほどの距離へと顔が近づく。
「何」
「お前、気がついてねェだろ」
「は?」
射貫かれるような視線に信も負けじと相手から目を逸らさず、応戦し不機嫌を乗せて視線への疑問を投げかけると、桓騎が目を薄めて口角をゆるく上げながら信へと言葉が向けられた。
「口付けすると腰擦りつけてんの」
「……、は?!」
自分の気がつかなかった事実を告げられ、ややあってから感嘆の声をあげた。信は瞠目し一歩引き下がろうとしたが頭と腰を押さえ付けられているので当然出来るはずがなく、その事実を受け入れられないまま再び桓騎の鼻先が近づき、瞼を伏せる。視線の冷たさとは全く異なった程よい温かさを保った柔らかい唇が重ね合わさり、そのまま寝台へと縺れこまされた。
今日もまた、この男に抱かれる。