特にやることがなければ、酒を飲むか女を抱くか。
時折伝令が来て何かを伝えられ他の場所へ赴いたり、客人を弄んだり。それが毎日あるはずでもなく桓騎は暇を持て余していた。
戦は春から長くても秋口にかけてしか行われず、冬から春先は練兵や軍議があるものの、上に立つ者としては下の者に命を下していれば良いため、これといってやることがなかった。
あの下僕に会うまでは。
「暇じゃねェ、っつってるよな。何度も呼ぶな」
「雪が積もってんだから農事だって出来ねェだろうが」
顔を見るなり挨拶もなく噛みついてくる信に、桓騎は喉の奥で笑ってやると、図星だったようで信が下唇を噛みしめて口を噤んだ。
呼び立てた理由は特にない。やることがないのは事実だったので、家まで使いの者を走らせ居たら呼べ、としか命を下していない。
いつものこのこと素直に応じやってくるこの下僕の様子が余りにも滑稽で暇を見つけては呼び出す。時折自軍の副官を招来したりするが、それ以外他にそういった該当者がいるかと言われたら、居ない。
ぶつくさと文句を言いながらも剣を下ろし、椅子に座ろうとする信に桓騎は目を細めて見やる。とりわけ目立った容姿ではなく、目尻がつり上がった意思強い瞳と申し訳程度に纏められている髪以外はそこら辺の男娼にも劣る。
それでも桓騎は信を呼び出す。
「んだよ」
桓騎が眺めていただけなのに信はこちらの顔を顰めながら睨み付け、飾り付けが施されている木製の机まで大股でやってくる。
すぐ側には飾り窓が壁に施されており、中庭の景観を楽しめるようになっているが、一度も楽しんだことはない。それより面白いのは目の前にいる男だった。
椅子を引き、腰を降ろす。片足の踝を膝上に乗せ腕を組み、信が桓騎を睨め付けた。自分の全てを否定したいのだろう。
それでも上官として立っているという事実は拭い去れるものではない。苛立ちが見て取れる。
面白いぐらいに桓騎にとって信は動かしやすくわかりやすい相手だった。
「まあ、飲めよ」
「……」
酒は嫌いではないらしく、勧めたらいくらでも飲む。
過去に相当飲まされたらしく、それで鍛えられたと何気なく口にしていた事を記憶にとどめている。
恐らく目の前の男はそんな言葉を桓騎が覚えているとはこれっぽっちも思っていないだろう。置かれている陶器を手にし、三脚の酒器から酒が注がれるのを静かに見つめている。
口を開けば反抗し、こちらのことなど意に介する事なく自分が思うまま抵抗してみせる。
無論、桓騎にとってその態度は折り込み済みで予想の範囲から出るような態度でもないので、聞き流しているか反応を楽しむものでしかない。
相手への陶器へ酒が注ぎ終わり、続いて桓騎の前に置かれている青銅器へ酒を注ぐ。飾り窓から映り込む曇天が水面に映るが、波が立ち打ち消している。青銅器を手にし勝手に口付け飲むと、信も慌てたように陶器へ口を付けた。
ちらり、と横目でその様子を見る。薄い唇が陶器に口づけられる様子が妙に扇情的に目に映る。まだ片手でしか数えられない程度だが身体を暴いている時はそうでもないのに、時折ある動作を見ると駆り立てるような熱が湧き上がってくることを感じる。娼婦には一切抱かない感情だった。
桓騎はこの感情を何かは知っていたが、蓋をして誰にも覗かれない場所に奥深くしまい込んである。その蓋の封が外れ掛かることを目の前の男は全く知らない。勢いよく陶器の底まで一気に飲み干したのを見届け、桓騎も半分ほど酒を煽った。
「んだよ。じろじろ見やがって」
信が机上に叩きつけるように陶器を置き、手にしていない方の手の甲で口元を拭い去る。視線を上げこちらを真っ直ぐ見据えてくる双眸に桓騎は視線を僅かに上げ、目をやり、それから直ぐ戻して床に視線を落とした。
「酒貰うからな」
飲みきってしまった酒を再び注ごうと信が酒器の取っ手に手を伸ばす。律儀に断りをいれなくても勝手にすればよいものを、と桓騎は鼻で一笑したが信には気がつかれなかったようで、目の前の酒で手一杯になっていた。
毎回のことだが酒を飲むことにも飽きがくる。少し酒を煽り、気分が良くなっている信に桓騎はふと手を伸ばしたくなってみた。それをしたところで楽しくなるわけではないが、どういう態度をとるのかが気になった。娼婦は手を取るだろう。副官たちはどうだろうか。自分の配下にいる兵ならば。いくつかの例を挙げてみたが、どれも想像に難くない。
手にしていた青銅器を机上に音を立てず置く。飾り窓から庭を眺め、酒を口にしている信へそろりと腕を伸ばしてみた。
「何」
隙が出来ている無防備な頬を触ろうとしかけた時、やはり幾度も戦を重ねているのか気配には鋭いらしく、直ぐさま信の手の甲によってその手が振り払いのけられた。信が陶器を置き、眉間に皺を寄せながらこちらを睨め付ける険しい表情が目に入る。桓騎は眉を僅かに上げ、改めて信へと視線を合わせる。
「……へェ」
思わず感嘆の声を出しながら払いのけられた手を桓騎はもう一度上げた。
こちらの態度が気に入らないのだろうか、その双眸には嫌悪しか見えない。今度は手早く頬ではなく信の下顎を親指と人差し指、そして中指で掴み上を向かせる。目を細め、信を見やると腕を掴み顎に掛かっている指をはずそうと必死にもがいている。
「……指、離せって」
「嫌だ、と言ったら?」
「お前の意思なんて俺に関係ねェし、第一俺の事嫌いだろーが」
握られた手首を一度見てから、信が桓騎の双眸を睨み付けた。目の前の男が何を考えているか信には分からないだろう。信が桓騎を理解しようとしている訳がないと踏んで、桓騎は真っ直ぐ見据える。
「何が嫌じゃねェ、だ。ふざけんな」
桓騎は低く笑った。一切素直になろうとせず、雑言ばかり口から出てくる信が面白くてたまらない。周りには居ない、自分をただひたすら否定をする人間。興味が湧かないはずがなかった。
黒羊丘の集落を焼き払った時のことを思い出す。あのような小さな集落を焼き払い、虐殺を行うのは日常茶飯事で誰も意を唱えず行っていた、ただの侵略行為に過ぎない。にも拘わらず真正面から怒鳴り込んできた信のあの時の顔が今でも目に焼きついて離れない。
気を弛めた隙に信の指に力が爪の先が皮膚に食い込むほどこもった。指を外すと思っているのか分からないが、桓騎は外すはずもなく信の顎に指を掛けたまま椅子を引いて立ち上がり、机越しから信の顔へと上半身を折って顔面を近づけた。
「交接ん時は、大人しく触られるくせに」
「は……?」
信じられない、と言いたげに瞠目させ更に爪と掌、そして腕に力を入れてはずそうとするが腕力の差はむなしく桓騎の指の力の方が強く、信の顎を軋ませるほどに強く掴む。
もう少し手を下ろせば首が掴めそうだ、と考えたがここで扼殺しても良かったが、それだとこの先数年、楽しみがなくなってしまうと思い直しここでやっと桓騎は力を弱め信の顎から指を放した。
僅かな時間だが上を向かされていた信が、後頭部に手をやり左右に首を振りながら頭部の調子を戻している。相変わらず嫌悪の色を浮かべながら桓騎を睨みつけていた。
再び椅子に腰を下ろし信の前にあった酒器の取っ手を握り、自分の青銅器に酒を注いだ。
今日はどのように拓いて、どのように啼かせようか。
想像を脳内で繰り広げながら、小さな声で文句を言っている信を眺めながら酒を煽った。
今日もまた、彼との遊興を愉しむ。桓騎は口角をほんの僅かに上げ再び中庭を横目で見ると空は未だ重たい色味の曇天だった。