※名有りモブ、男女各1名出てきます
※モブとの恋愛はそれぞれなし
※暴力描写を含みます



今日ほど自分が仕えている屋敷の広さを呪った事はなかった。
勇は大男を追いかけ、屋敷中を走り回る羽目となった。あっさり主の元へ案内されていればすぐに会えるはずだったのだが、あいにく主は取り込み中らしく、大男が案内されたのはいつも使われる客室ではなかった。勇はまず調理場に行き宴会の準備をしている者たちへ一通り尋ね、答えがあった者の室へ行ってみたものの誰もおらず、空振りに終わること数回、あの大男の相手をしていた者と廊下ですれ違うことが出来、居場所を尋ねた。どうやら主が普段愛用している室に程なく近い堂にいるらしく、てっきり室に通しているという思い込みがまず良くなかった。勇はその者にお礼を言い、言い渡された堂へと足を運ぶ。
あまり使われることのない堂は広々としており、天井付近の飾り窓からはまだ陽が差し込まれてくる。これが数刻もすれば暗くなるだろう。勇は慌てて堂に飛び込むと、麻袋から未だ身体の自由は利かず蠢いている客人と大男が身体を蹴り飛ばす姿が見えた。大男は近くで見ると更に迫力があり、鍛えていない勇の首など一捻りで折られそうな丸太のような腕と、自分の何倍もありそうな胴体に先ほど蹴った脚は牛でも蹴り上げられそうなほど張り詰めた股を持ち合わせていた。
勇は大きく唾を飲み、手を硬く握りしめる。意を決して石張りの廊下から堂へ踏み出そうとしたその時、鋭い眼孔が勇の額を射抜いた。その鋭利な刃物のような眼に視線を逸らすことは許されず、勇はその場で固まりどうすることも出来ず張り詰めながら立ち竦んだ。背中にはひんやりと殺意とも取れる気配を感じとり、脇から汗がじっとりと滲み出てきた。
「テメェ、こんなところで何してんだ」
門での受け答えの時より、数段低くそれこそ地を這うような低さで問い掛けられた。どう答えようか、裾を握りしめまずは礼からと思い腕を上げようにも凄まれぎこちなく軋んだ音を立てる扉のような動きで腕を上げようとした時、呻き声が聞こえてくる。
呻き声、というよりかはこちらに向かって話しかけてきているような、そんな声にならない声だった。
麻袋の者は口元に布か何かを咥えさせられているのでは、と一瞬仮説が過るがまずはこの大男への答えをどうするか考えねばならないのに、思考がまとまらない。勇が顔をゆっくりとあげると、大男は舌打ちをしてこちらに向かってきていた脚を転がされている麻袋へと方向を変えた。
「テメェは黙ってろ」
そう言うと大男はもう一度腹部らしき場所を足の甲で蹴り上げ、吹き飛ばされた勢いで堂の壁に背らしき箇所があたり呻き声が上がる。見るからに痛々しいその光景を目の当たりして、勇は早くも逃げ出したくなった。大男が大きく息を吐きこちらを見た気がした。咄嗟に勇は顔を逸らし、目線を合わせないようにする。対象がこちらに移り変わり、蹴り上げられてしまうかもしれない。柱しかないこのだだっ広い堂に隠れる場所は存在しない。勇は立ち竦んだまま、必死の思いで思案したが良い案がなに一つ浮かばない。大男がこちらへ踏み出そうと足を上げたのと同時に、首を伸ばして勇ではなくその先にある何かに声を掛けた。
「お頭」
勇は大男が呼んだ名を聞き、瞬時に後ろを振り返る。気配もなく佇んでいた黒く大きな影がゆらりとこちらへゆっくりと近づいてきた。足音が最小限に抑えられておりひたひたと此方へ歩み寄ってきた。勇は顔をあげられず、ただひたすらに通り過ぎるのを待ち続けているがまるで永遠ともとれる長さだった。場が一瞬にして凍り付くような殺気をただただ溢れさせ、勇自身の存在を微塵たりとも感知していない。口を引き結び、顔を俯けている勇は礼を忘れ、装束の裾を握りしめながらひたすらに待った。呼吸が必然的に浅くなり、顔に生気を感じられない。早く終わってくれとさえ願うばかりで、勇は固く瞼を閉じこの空気を耐えていた。
ふわりと花の匂いが鼻奥を擽る。顔を上げると既に主は通り過ぎ、大男の前へと立ち並んでいた。大男より一回り小柄ではあるが、少なくとも勇よりは背丈も肉もついている。こちらには聞こえないが何かを二人で話しながら、麻袋の中にいる人物を同時に見やっていた。
いつまでこの場にいなければならないのだろう。今勇が見ている光景をこのまま見ているだけでは意味がないのは知っている。しかし客人はあの大男に蹴られ呻き、そして主が到着してしまい客人どころの話ではなくなっている。本来なら来客があれば案内し、多少もてなしそれから主の元へとお連れするのが本来の手はずなのに、一緒くたにされるどころかとんだ来訪者と登場のされ方で初めての客がこんな形となり、未だに顔も見られないという空前の出来事に勇自身も驚く他ない。
一言断りを入れてこの場を立ち去れば丸くおさまるのではないか。勇はそう思い、床に伏せていた視線をそろりと上げると大男がなにやら頷きながら主の側から離れ、こちらへ向かってくるではないか。勇は大慌てであげた視線を再び床に戻す。はやくいなくなれ、はやくいなくなれと呪文のように何度も心の中で唱える。
大男が横を通り過ぎる時、舌打ちが聞こえた。勇は反応しようと僅かに顔を動かしたが、すぐに止めた。目を合わせたところで何が起こるか分からない。そのまま大男は通り過ぎ、足音が遠く離れていく。静かな堂は客人の呻き声と時折背後の中庭から聞こえる鳥の声、そして葉同士が時折擦れる風の音だけだった。こちらには手を出してこないことに咄嗟の判断は賢明だったと、勇の安堵も束の間、今度は主が何の前触れもなく麻袋のそばから離れ、こちらへと歩いてくるではないか。
流石の勇も礼を思い出し、手の甲を前に出し手のひらで重ね合わせて腰を折る形を取る。緊張に腕が震え、また必然と下を向く形を取っているので勇と主がどれほど距離があるかは測れない。足音が明確にこちらへ向かって来ているのが分かる。先ほどは無視を決め込まれていたが、ずっと突っ立っている従者を不信に思ったのだろう。主の足は通り過ぎることはなかった。
不名誉にも末代に渡って受け継がれていくこと間違いないと勇は思いながら通り過ぎてくれることを願ったが、そんな願いはきき届けてくれない。
「なあ」
「……はい」
主と口をきくのがこれが初めてだった。人を人として見ていない、それでいて度量を推し量りそれでも人を惹きつけてしまう、そんな声色が勇の耳に届いた。顔を上げろとは一切言われていないので、面は床に向けたまま勇は返事をする。
「お前は何をしてんだ?」
その疑問はもっともで勇は重ねていた手のひらで手の甲を強く握り、大きく息を吸う。主にどういう形でも良いから返事をしなければならない。上手く話せるだろうか、という一抹の不安を消し去り勇は言葉をゆっくりと吐き出した。
「麻袋の中にいる方が、客人と聞いたものですから」
「……ああ、あれか」
勇の主がちらりと横目で壁際に横たわりながら抗議らしき呻き声を上げながら蠢いている姿を一瞬盗み見て、再び勇へと眼を戻した。
「お前、あれん中に人がいるって思ってねェだろ」
勇はそんなことはない、と即座に否定をしたかったが一方で主の言葉を打ち消す訳にもいかず本当にあの麻袋には人がいるのかも確かに懐疑的ではあった。もしかしたら人ほどの大きさの獣がいてもおかしくない。あの呻き声しか聞こえてこないのだってそれなら納得がいく。
勇は沈黙をしてしまい、頷くことも首を振ることも出来ず横たわっている麻袋の中身が気になり出す。それが顔に出てしまっていたのか、主は鼻で一笑し言葉を続けた。
「気になるなら出してやるよ」
「は……?」
顔をあげるとすでに主は勇に背を向け、麻袋へと足を運んでいる。肩に羽織っているだけの黒い召し物を翻し、麻袋の前に立つと何寝てんだ、とだけ言い放ち腹らしき場所を容赦なく蹴り上げた。堂にきて三回目。自分の腹まで痛みが伝わってきそうで、勇は腹を押さえその様子に目を背けそうになりながらも好奇心はすり減っていかず、ただ見守るしかなかった。
主がしゃがみ込み、麻袋を引き裂いていく。すると青い薄汚れた服のようなものが見え、それから股が分かれた胡服の上にきつく巻き付くようにして縛られた紐、そして足首のような肌がみえてくる。
入れられていたのは本当に人で、それを物としか思っていない大男と主に血の気が引いていくのを感じる。人を人して見ていない。勇も容赦なく暴力を振るわれる姿を容易に想像出来てしまい、奥歯が震えた。
客人と思われる人物はまだ顔は解らない。勇は恐怖と好奇心で綯い交ぜになった感情をかくしきれず固唾を呑んで、面貌である麻袋をはがされる様子を注視するほかなかった。
主が麻袋の縁に手をかけ勢いよく引き上げると首元が仰け反り、それから引き剥がされた。口元には話せないよう麻布がしっかりと巻き付けられている。主は客人の額付近の短い前髪を握りしめ、髪ごと上に持ち上げる。頭皮が引っ張られ、客人の眉が痛みに耐える面持ちになっている。縛っている後ろ髪は短いらしく故に前髪を持っているのは分かるが、あまりにも痛々しい光景にこちらまで顔をしかめてしまった。
「これだろ。お前が待ってた客ってのは」
目隠しはされていない客人は、痛みに顔を歪ませながらも眼光に陰りは見えないどころか勇自身に目もくれず、あの主を横目です睨みつけているではないか。その異様な光景に勇は無意識に一歩足が下がる。
主の噂は知っている。首切り桓騎。時々屋敷でその話題が持ち上がりどうしてそんな異名がついたのか、首切りということは自分たちもいつか切られるのだろうか等の噂を聴かされては勇は常々くだらないと思っていたが、本心は主自身に興味があった。あの異名に引けを取らない残虐さを見せつけられ、噂は恐らく事実なのだろうと確信する。
そしてその異名を持つ主を睨みつけている客人は相当肝が据わっているとしかいいようがない。
「あいつがお前を待ってたんだってよ。下僕」
「んんんっ!!」
主の上腕が少し上に持ち上がり、客人の髪が必然的に高く持ち上げられそれに伴って頭皮が引っ張られる力も限りなく不可がかかり痛みを訴える顔は顎が高く上がる。主は客人へ顔を近づけ、視線だけこちらを盗み見てすぐさま客人へと戻した。ああ、とわざとらしく演技がかった声をあがる。その声に勇は首を伸ばし次に出される台詞へと聞き耳を立てた。
「今は下僕じゃねェな。なぁ、飛信隊信」
勇は主の言葉に目を丸くさせた。今、主が前髪を掴んでいるものが男から聞いていた飛信隊の者だったなんて。ただの享楽か気紛れかは知れないがその辺で拾ってきた下僕ではなく、軍に従事している者でこんなに簡単に主に懐柔されているとは。
微賤の出だからこそ、ほんの少しでも憧れた自分が情けないと勇は感じた。謂われのない暴力をもらい受けるのならこのまま一生主に使えていた方がよっぽどましとさえ思う。心中だけで小さくため息を吐き、勇は再び顔を床へ戻した。
何かを拒絶するうめき声が聞こえ視線を飛信隊信と呼ばれた客人へと向けると床にはおらず、勇は自分の目を疑いもう一度床を隈無く眼を左右に動かして探してみたがやはり見当たらない。
今度は床から視線を上げ前腕の先へとやり、主の姿が確認できその肩には客人が軽々と担がれこちらへと歩み寄ってくるのが分かり、勇は上げた視線を瞬時に下ろし再び床をみる。
主が何事もなく通り過ぎようとした時、何かを思い出したかのようにああ、と声を出しこちらへ顔を向けず、呟くように声を発した。
「一通り遊んだら相手しておけ」
「……は」
勇は聞き漏らしそうになりながらも一段と深く首を下げ、下った命に従うため静かに返事をした。
返事はしたものの、終わる頃合いなど事前に分かるのだろうかとふと疑問が過ったが顔をあげる頃には既に堂には勇しかおらず、しんと静まり返っている。先ほどまでの重苦しい気配は一切ない。
ひとまず男に報告をせねば、と勇は肩を落とし大きく息を吐く。ひたすら棒立ちになっていた脚が上手く動くか心配になり、ゆっくりと右の股をあげてみると自然に動いたので、勇は少しだけ安心した。
持て成しはこれからが本番だ。肩に担がれた客人が帰るまでは勇の息つく暇はなさそうだ。頭をかきむしりたくなったが、身なりはそれなりにしておかないと男に咎められる想像は易々と出来たのでそれも止めておき、男を探すため勇は堂を後にした。