※名有りモブ、男女各1名出てきます
※モブとの恋愛はそれぞれなし
※桓騎は出てきません



客人が連れて行かれてどの位時間が経っただろうか。
勇はいつでも呼ばれても言いように割り振られている室の寝台に腰掛けながら、半分舟をこいでいた。勇の指導に当たってくれている男からは主様のことだから突然呼び出されることもあるので起きているように、と言われてはいるものの普段なら横になっている刻だ。それを突然待っていろ、と言われても身体はとてもではないがついて行くはずもなく。勇は時折倒れそうになる半身を起こし、何度も寝台に腰をかけ直しては落ちてくる瞼に何度も抗おうとするが眠気は何一つ待ってはくれなかった。
ふと今日の昼間の出来事を思い返す。連れてこられた客人は無抵抗で暴行され呻くことしか出来ず、主に攫われいった。使いである自身には苦言を呈することも出来ずただ見ているだけの無力な人間で、止めに入ったとしても主に斬られるだけだっただろう。我が身の可愛さあまりに傍観者になり果てた。その事実に落胆し、眠気に抗わず瞼を閉じてしまいそうになるが寸でのところで必死に我慢した。床に視線を落とす。
「あれが、飛信隊の隊長」
呟きは静穏な室に消えていく。微賤の出から五千人の将になった男。勇は腿に置いていた手を軽く握りしめ、あの時どうしたら良かったのかと自問をしてみたが答えは出てこなかった。
廊下から何か気配がする気がして、落としていた視線をふとあげると木製の扉が軋んだ音をたてながら開かれた。
「勇、起きているか?」
返事をすると指導に当たっている男が室へと足を踏み込む。その声にうつらうつらとしていた意識が男の視線と目が合うと眠気はまだあるものの、受け答えが出来る程度にははっきりしてきた。
「一通り終わったようで、後は好きにしろと仰られていた」
男は腕を組みながら勇へと近づいてくる。勇は立ち上がり話そうとしたが手のひらを一度上下させそのままで良いという手ぶりを行い、勇は寝台に腰をかけたまま言葉を返した。
「俺が行けばいいですか?」
「ああ。どうなっているかは……」
男は勇の数歩前で立ち止まり、そこから腕組みをより深くして言葉を濁しているようだった。勇はそこから読み取れる真意は分からない。が、少なくとも勇自身では想像しえない何かがあるとは考えられた。立ち上がり、男に近づく。ここにきてからずっと世話になっているこの男と、そして桐には感謝してもしきれないほどの恩がある。怖じ気づいてここで男に変わってもらうことだって出来る。
しかし男は今の状況を見越しておそらく勇に相手をしろと言っているのだろう。そう勇は自身を信じ込ませて、男の顔を見据えた。
「夜も遅い。もし客人が起きていたら相手をしてくれるか?」
「分かりました」
勇は首を縦に振り、不安を浮かべている男に安堵してもらえるような力強い返事をする。その意気込みが伝わったのか、皺を寄せていた眉間がほんの少しだけほぐれどこか安心した様子に変わる。何を持って行くかも分からないが、室に出向けば何かわかるだろうと足を踏み出す。続いて男も勇と一緒に室を出て客人がいるという室を案内した。
すでに屋敷の中は寝静まり、時折夜行性の何かが地を這いながら草同士の音を立てるのがはっきり聞こえてくる。中庭は薄く雲がかかっているぼんやり月明かりに照らされ快晴とまではいかないが燭が必要なほど辺りが暗い訳でもなかった。
男は何も喋らず黙々と足を運んでいく。すると普段は訪れない本邸から少し離れた室を案内された。娼婦を抱いている室があると噂されている場所とは全く異なった、簡素でそれこそ勇が普段寝泊まりしているような扉の作りで何も言われなければ物置として素通りするような扉だった。
「えっ、ここに?」
「……ああ。主様にここにくるよう指示があったものでな」
「はぁ……」
主は時折ふざけたことを言うらしい。らしい、というのは勇自身が直接聞いたことがあるわけではない。
「あとは頼んだ」
そう男は伝え、来た道を戻っていく。薄曇りで覆われていた月は次第に厚い雲に変わり男の後ろ姿を隠してしまった。暗闇になる中、勇は緊張しながら扉に手をかける。
突然動物や野党が飛び出してくることはまず無いはずと呟き、高ぶってくる気分を鎮めながら勇は指先に力を込める。簡易的に作られて装飾も施されていない扉の取っ手は今にも引っこ抜けそうなほど簡単につけられ、勇は丁寧に扱うように心掛けた。扉を引き室に足を踏み入れるとまず青臭い精の臭いと嗅いだことがない花の香りが入り混じった独特の臭いに鼻をつまみそうになる。こんな場所に人なんているのだろうか、と寝台に目線をやると力無く横たわった背中が飛び込んできた。どうやら本当に人はいたらしい。
遠目では寝ているのか起きているのかが分からないので足音に細心の注意を払いながら、その人物へと近づいていく。近づくほどその背中の筋肉は発達し、幾つもの傷後があることは解る。ただ者ではないのはわかったが、呼吸の音だけでもと寝台にあと数歩の所で突然背中が反転した。
「……テメェ、誰だ」
気だるそうな身体を余所に、眼光は鋭くこちらを真っ直ぐ睨みつけている。丸められていた上掛けをはぎながら上半身を起こそうと前腕と肘を寝台につきながら起きあがろうとしていた。ただ下半身には力が入らないのか、上半身を起こすことが精一杯らしくそれ以上は起き上がらない。
勇はてっきり客人は寝ているものだと思い心臓が飛び上がるほど驚いた。その場で鼓動を押さえようと胸に手を当てながら勇は口を開いた。
「ここの主に使えてる者です」
「……桓騎にかよ」
「何かご用がありましたら、俺に伝えて下さい」
自己紹介もそこそこに、敵意がないことを見せつけるように胸に当てていた手をすぐ寝台の前に出し手の甲にもう片方の腕を伸ばし重ねて腰から身体を折り曲げながら、礼をする。
客人は身体を起こすのをやめたらしく、寝台に背を預けた音がし、小指の下からちらりと客人の様子を盗み見ると眉間に皺を寄せ主の名前を出しながら苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「……特にねェ」
上掛けを手にして頭の上まで被ってしまう。夜も深まってきているので今はあまり話したくないのかもしれない。勇は折り曲げていた腰と背を戻し、一歩だけ寝台に近づく。客人はすぐに寝入ってしまい、一定の呼吸を保ちながらこちらに見せている肩をほんの少しだけ上下させていた。
特に無い、と言われてしまえば出て行く他ないがもう少しで朝餉の準備が始まる。寝入ってしまった客人ともう少し話す機会は恐らくやってくるだろう。そう勇は見越して、踵を返し扉へと向かい客人のいる室を後にした。
そろそろ日が昇る頃だろうか。廊下を歩きながら中庭から見える空を見上げても月はすっかり隠れ、明日の天気の不安定さを見ているようだった。客人が来てからまだ一日と立ってない事に勇は頭を抱えたくなる。柱にもたれ、暗い中庭を静かに眺めた。今から室に戻ったとしても寝付けそうにもないし深く寝入って叩き起こされることを思えば起きていた方がよっぽど良い。
はあ、と小さくため息をつく。客人は主に何をされたか隠そうともしなかった。それどころか主はああいった無骨で、取り立てて特徴がない青年も抱くのだと逆に一驚した。娼婦を抱くことは知っていたし、時折男娼が出入りしていることも噂には聞いていた。佳麗で艶がある髪の持ち主が好みなのだと勝手にこちらが予想していたのだがそうではないらしい。勇は主の事を全く知らないのだと改めて痛感した。
「ここにいてもな……やることないし」
中途半端に覚醒してしまい、やることもない。文字が読めない勇はひたすら物思いにふけるしかない。
扉のきしむ音が、少し遠くから聞こえてくる。先ほど勇がいたであろう場所あたりからで勇はなりふり構わず走り出した。これがもし客人なら状況を聞かねばならず他の者なら勘違いだった、で済む。ばたばたと廊下の石畳を踏みしめ、開けただろう扉の前に行くと客人が壁にもたれながら両膝を立てて前腕を起き、ぐったりとうなだれるように座り込んでいた。勇は焦りながら客人と目線の高さに合わせるよう、しゃがみ込む。
「どうかされましたか?」
「んでも……ねェ」
「屋敷は初めてでは?」
ぐ、と客人の喉がなる音がする。図星を突かれて言葉が見つからないようで、それ以上反論の声は出てこない。どうして欲しいかは言われなければこちらも分からないが役目を賜ってしまった以上最後まで果たさなければならない使命感は勇の心中にあった。
「厠ならお連れします」
「……良いって」
「その身体では途中で粗相しますよ」
これ以上辱めは受けたくないらしく、目尻が上がった視線をこちらに向け睨みつけてきた。勇はその視線に怯むことなく言葉を続けた。
「桓騎んとこのやつだろ。……何してくるか分からねェし」
客人は睨めつけていた眼をごくわずかに下げ、勇から視線を離す。勇は凄みのある視線に恐怖を感じていなかったわけではないので、少し安堵し手を差し伸べた。
「主にはお仕えしてますが、もてなせと言われているので」
厠へ行くにせよ部屋に戻るにせよしゃがみこんでしまったら手を差し伸べられずにはいられない。勇は橋の上で拾われた時の事と重ねていた。男には恩を返しきれてはいないしこの屋敷に居住まわせてもらっている主にも多大に恩義を感じている。今ここで手を差し出さなければきっと後悔するだろうと勇は己自身に言い聞かせた。
客人がそろそろと瞳をあげ、勇と視線がぶつかる。どこか不貞腐れているような、咎められているような感情が含まれている気がした。
「……そういう意味でかよ」
「そういう、とは?」
「……その、」
言い淀んだ客人の言葉尻から受け取れるものは何かと勇は考えた。最後に言った言葉はもてなせ、だった。ああ、と合点が行く。おそらく客人は勇が身体を使って相手をしろと言われたと、濁しているのだと確信した。思わず苦笑が漏れてしまう。
「男色? ああ、俺はその気は全くないですよ。そういった感情は持ち合わせていない」
「……そうか」
語尾にほんのり安心した様子が窺え、勇も思わず口元だけに笑みを浮かべた。
客人がそう思ってしまうのも無理はない。無体を働かれ、放置されてその後知らない男が出てきてもてなすなどと言われたら同様の考えに及ぶだろう。
客人に仲間がいればこの場で手を払いのけてもらっても文句は言えない。しかしこの敵地とも言える場所でただ一人、裸同然の格好で座りこんでいて手を差し伸べる者がいるなら手をとる他ないのではないだろうか。勇は少し囲い込みすぎているような気がしないでもないが、それでも助けたい気持ちは本心からきている。
「これからさらに冷えるので、一旦戻りましょう」
「……わかった」
この一回限りでは無論信じてもらえないことは知っている。それでも客人は手を取り己の身体に叱咤しながら立ち上がりもたれていた壁を伝いながら元居た室へ戻る。肩を貸し、普段なら数十歩で終わってしまう距離を客人の歩幅とあわせるようにゆっくり歩きながら寝台に腰をおろさせた。
勇は気持ちを落ち着けてもらうために用意してあった水差しと三脚になっている青銅の水飲みを手にし水を注ぐ。その器を客人に差し出すと眉を少し下げて笑い素直に勇の手から受け取られた。
「……ありがとな」
「いえ。手伝えることがあればやるだけなんで」
あくまでも客人の力添えをするだけだった。ここの屋敷にきてから一番最初に叩き込まれたことを口にする。主が一番、自分のことは最後にしろと世話になっている男から今でも日頃より耳にたこが出来るぐらい聞かされていた。
客人が水飲みの縁に唇をつけ一気に飲み干す。仰ぎ見ている頭部で喉元が見え嚥下していくのがよく分かった。客人は飲み終えると手の甲で口元を拭い、水飲みを勇に突き返した。それを手にしながら勇は机の上に一度置きにいく。
「俺は、信。飛信隊の信だ」
背後から名が飛んできた。姓はないらしい。本当に自分と同じ微賤の出身なのだとここではじめて実感する事ができた。
「俺は……勇です」
「カカッ。勇か、よろしくな」
水飲みを机上に置いておき、壁に立てかけてあった薄い敷物を床に敷く。一礼してから座へと腰を下ろした。一枚敷いたが臀部からは冷たさが伝わってくる。
独特な笑い声が聞こえ顔を上げたがすぐに床へと下戻す。次に自身が行うべき行動を取るため、そしていくら出自が低いとはいえ今は一介の将である彼を敬うために首を垂れた。
「えっと、褥換えます。眠りにくいと思うんで」
「その必要はねェよ。もう少ししたら帰っから」
「は?」
すぐさま顔を上げて寝台に腰を掛けたままの客人の顔を見上げた。客人は顔を上げた勇に事も無げに言葉を続けていく。
「あのクソヤロォにこんな姿見られたくねェし」
勇は少し顔をしかめてしまった。親切を受け取らないのはまだわかるがすでに霰もない姿を見られているはず先ほどまでの格好のほうがよほど、と口をついて出そうになったが急いで喉奥へと押し戻し、済ました顔で信の言葉へ静かに耳を傾ける。
「朝餉も準備しなくていいから」
「信様がいうなら、……分かりました」
世話をしている男はきっと納得しないだろう。どうしてその場で引き止めなかった、と恐らく小言を言われるに違いない。どうにかして引き止めておいても朝餉を食べる前に出て行くだろう。その様子が勇の脳裏にははっきりと思い描けた。
「様? そういう堅苦しいのは良いって。信、て呼んでくれ」
「それはなりません」
朝餉を食べる食べないは信にとってどうでも良くそれより勇がつけた敬称の方がよほど気になるらしく、それについて客人は聞き返してくる上に呼び捨てにしろとまで提案してきた。さすがの勇もこれには首を横にふるばかりで身分が高い相手について対して易々と呼んで良いものではないことを勇も十分心得ている。
再び面を下げ、頭頂から振ってくる何かを思案している声を静かに聞いていた。確かに起伏なく接してくる姿は誰にでも好かれるだろう。現に勇も客人に対して嫌な感情は既に抱いていない。だからと言って立場をわきまえていないと主に対して同じ様な態度を取る可能性が万に一つないとは言い切れない。
勇はひたすら客人の提案を待った。ややあってから客人のあ、という明るい声が聞こえる。
「信『殿』ならどうだ? 俺の隊でも使ってる奴いるし」
「それなら……」
様ほど固くなく、呼び捨てにするよりかはずっとましだったので勇は口ごもるように承諾した。客人は立ち上がって、大きく身体を伸ばす。勇との会話で気持ちがほぐれたのか心なしか最初に室に訪れた時よりずっと心持ちが良くなっている気がした。
勇も立ち上がり客人の後ろ姿を静かに見守る。
「じゃあ、行くか。ありがとな勇。桓騎のとこにもいいやつが居るんだって分かったし」
「いいやつ、では」
「親切にしてくれただろ。ならいいやつじゃねーか」
客人は破顔し勇に笑いかけた。勇はそれ以上何も言えなくなってしまう。主の客人ならみなそうする行動にも拘わらず、客人は好意として受け取った。恐らくそういった性分なのだろう。
主とは真逆だと思った。他人との距離を一定に保ち時折屋敷に訪れる軍の幹部とはそこそこ親しさを感じるもののそれ以外には興味を示していない。屋敷にいても僅かにしか見かけない主は他の者が嫌いで目の前にいる客人のような分類は取り分けて嫌悪するのではないかと思っていたが存外違うらしい。
勇は浮かんできた想像を頭を振って消し去る。客人は勇への興味を失ったのか寝台に横になり既に寝息を立てて眠ってしまった。この筋肉がある身体でさえ疲れが表に出る程の行為の壮絶さを勇は身を持って知るが、興味は特に持てなかった。
静かに室の扉を開け閉めし、横の壁に少しもたれかかる。目の前を下女が慌ただしく走り抜けていく。そろそろ朝餉の支度が始まる頃合いだ。勇も手伝いに行かなくてはならない。その場を離れ、寝不足な身体を無理やり動かしながら足を運んでいく。勇の長い一日はようやく東の空が明けてくる頃に終わりを告げるのだった。