生きていれば皮膚は再生されるし、傷も癒える。それと同様に髪も伸びる。
羌瘣は伸びた後部の髪を時折鬱陶しく感じていた。時折、手入れのために小刀で切ってはいたが戦で手入れどころでは無く、久々に思い出すと煩わしさが勝った。軍議が済み、明日も演習となれば手持ち無沙汰な時間も出来たので今から切ってしまおうと天幕の中でぼんやり思案していた。
河了貂ほど短ければ楽か、とも思うのだがあれはあれで毎朝寝癖が大変とぼやいていることを思い返す。確かに活気に溢れ外側に跳ねている頭髪が時折どちらも内側にはじけていたり、どちらか片側が同様の方向に飛び散っていたり、と思えばあらぬ方向にはぜていたりと、そうなると厄介だと思える。湯浴み時は容易そうなのは大変羨ましい限りだが。
「羌瘣ー、明日の演習のことなんだけどよ」
飛信隊隊長の信が名を呼びながら自分の天幕へ入ってくる。小刀を丁度手にしているのを信に見られた。特に何という訳ではないが、どことなくばつが悪い。切ることをやめてしまおうかとも思ったが、煩わしさの方が打ち勝った。
「ちょ、おま、待てって!」
慌てて駆け寄ってきた信に思わず驚き、切ろうとしていた手がぴたりと止まる。何をそんなに慌てているのか羌瘣には分かりかね、眉をひそめながら取り上げられそうになった小刀をさっと自分の方へと寄せる。が、先ほどよりも更にわあわあと信が喚き出したので、思わず瞠目した。
「羌瘣、早まんじゃねェ!」
「なっ?!」
どうやら信には自分を傷つけようとしているように見えたようで、怒りの鉄槌を一発食らわせて事の発端を話す。いたそうに頭部をさする信は胡座をかきながら自分の話を聞いてくれ、一先ずは胸をなで下ろす。とりあえず髪の毛を切りたい旨を話し終わり、それではと徐に毛束を手に持ち、小刀で切りつけようとするが、再びここで制止が入った。
「もったいなくね?」
「は?」
「だってよーせっかく伸ばしたんだろ? そのままでいいんじゃねーの?」
突然やってきたかと思えば自分の意思など無視して、意見をいけしゃあしゃあと述べたこの男は誰にだって、男も女も関係なくこうやって口説くのだ。分かってやっていない分、質が悪い。
羌瘣は僅かにぱらりと落ちた毛髪を見、それから小刀を仕舞う。
「……毛先を切るだけだ、馬鹿者」
顔を上げていないので、恐らく信から表情は分からないだろう。先ほどの一言がどれほど嬉しかったか、この男にはきっと理解出来ないだろう。恐らく今自分の口元は、緩んでいる。見られなくて良かった。ほんの少し耳も赤いだろう。それぐらいはばれたってきっと罰は当たらない。
「はー? んでだよ」
「毛先を切らないと痛むから」
髪の毛をどれだけ伸ばしても、毛先だけはどうしても丁寧に手入れしないと痛んでくるのは事実だ。本来ならもう少し切るところだったのに、この男の所為で気が変わってしまった。全くどうしてくれるのだ。表情を引き締め、ゆるゆると顔を上げる。努めて冷静な口調で、平時通りの態度を装ってみた。嬉しかった事がばれていないだろうか。
「ふーん。女ってめんどーだな」
カカカ、と特有の笑い声で笑い飛ばして、敷かれていた席から立ち上がり天幕から出て行ってしまう。用件は一体、何だったのか。羌瘣は首をかしげ、冒頭の信の言葉を思い浮かべたが答えは勿論分からない。しかし、あの一言で自分の髪に愛着が湧いたのは言うまでもなく、手にしていた後ろ髪を一撫でした。
「あっ、明日の演習のこと聞いてねェ!」
そして天幕の外へ出て暫く歩いてから気がついた信の独り言はからりと晴れた空へと消えたのだった。
信が羌瘣ちゃんにもったいないっていう話