地に落ちた髪を、風が運んでいくのを時折確認しながら摩論は手を動かした。
事の始まりは摩論の上官である桓騎が一言髪を切れ、という命が下ったからだった。
「何故、私が?」
「お前ぐらいしかまともに切れないだろうが」
摩論はここで一度顔ぶれを思い出す。黒桜が一番適任だと思うが、髪を触った瞬間鼻血を出し、それを垂れ流しながら切りそうで血が体内から流れ出し、戦どころではなくなりそうではある。リン玉はどうだろうか。彼なら遂行はしてくれそうだが顔を青くしながら切りそうではある。なら雷土はどうだろうか。ああみえてあの巨体で器用そうではあるが、思いの外一思いに切ってしまい上官の髪型が凄いことにでもなったら黒桜が黙ってはいなさそうだ。オギコは、楽しく散髪してくれそうではあるが何かしらに目を奪われて、髪の毛を切るどころの話では無さそうではあった。
となると、確かに適任は自分であり、呼ばれるのは当然かと摩論は勝手に結論づけた。
麻布を上官にかけ、自分の配下にある兵にいつか忘れたが邑の家で奪った鏡を持たせ桓騎に向ける。摩論とは異なった鋭い眼光とつり上がった眉、余裕そうに相変わらず口角を僅かにあげどっかりと木製の簡易的な椅子に座っている。
「と言うか、本当に私でいいんですか? お頭」
「あ?」
「お頭の髪に触りたくないとか、そんなのじゃなくてですね」
髪には霊力が宿るらしい。そう言い伝えられているのは摩論も知っているし、咸陽に済んでいる貴族連中はそれを信じて髪を隠しているのである。摩論は勿論そんなものは信じていない。帝は御座すとは思っているが。
無論、首切り桓騎と異名がついている上官は帝もいなければ霊力なぞ見えないものを信じたところでこのクソみたいな乱世が変わるとは一寸たりとも思っていないだろう。
「一度切ったら変えられないですよ」
「知ってる」
「……なら良いのですが」
そう言い、青銅の交互刃で手伝いを借りながら切っていく。時折鏡で長さを確認し、手際良く切りそろえていく。櫛を使い、刃を入れる。痛んだ毛先がはらはらと地に落ちていく。随分長い間切っていないのか、毛先が乱れ有らぬ方向に散り散りとなっている。それでもこの上官は様になってしまうのだから、帝は容姿の差をつけたのか摩論は知りたかった。
摩論は普段から身ぎれいにしている。髪を斜めに分け、特に鼻下の髭の手入れは欠かさない。細かく短剣で細かく揃えていくことは嫌いではなかった。上官はどんな気持ちで見ているのかは知らないが時々その様子を眺めていたりする。
「摩論」
「はい?」
「一度切った髪は、伸ばすしかねェよな」
「……はぁ」
何をそんな当たり前の事を。摩論はそう言葉を投げかけようと思ったが、この上官は何かを思索しているらしい。頭が切れるくせに、自分に任せてくる。最初はこの上官が苦手だった。しかし次第に何か遠くを見つめながら、それでも時折自分たちの輪に入ってどことなく楽しそうにしている上官の姿を見るのは嫌いではなかった。
今もきっと何かを思っているのだろう。それはきっとこちらには絶対口に出してはくれないだろうが。
「終わりましたよ」
「んー」
「皆さん、片付けを」
摩論が桓騎にかけていた麻布を外し、手の甲で細かい毛をふり払い手伝わせていた兵に畳むよう指示した。桓騎はおもむろに立ち上がり大きく伸びをして、再び遠くを見つめる。あれは、咸陽の方角だろうか。
遠くから上官の名を呼ぶ雷土の声が聞こえる。振り向くと、副官がそろってこちらに手を振っていた。桓騎は軽く手をあげ、向こうの方に歩いて行ってしまったが横切った際に摩論が見た表情は、何とはなしに嬉しそうだった気がする。
全てが片付け終わり一式を抱えようと腰を屈めた時、目の前に影が落ちるのが見えた。顔をあげるとオギコが手を差し伸べている。
「摩論も、行こう」
ええ、とだけ言い荷物を半分持って貰うとすたこらと駆けていくオギコの後ろ姿を、摩論は本当にうっすらと上官の気持ちが分かった気がした。
髪を切ってもらってそれなりに嬉しそうにしそうって話