彼とはもう十年以上の付き合いがある。出会った時こそお互い幼く、最初の死線を一緒にくぐり抜けそれから別々の道を歩み、今では戦場を共にする。彼は前線、自分は後方で戦略、そして刻々と変わる戦況を的確に把握しながら作戦を出す。それぞれの役割があり、一つでも多くの勝利を挙げることが最優先とされてきた。
そんなある時、歩兵たちの口からある噂を耳にした。隊長は時々桓騎将軍の元へ訪っていると。河了貂は粗方の予想は出来ていた。あの信が常日頃殺したいと物騒な物言いをしている相手へ、素直に呼び出しに応じるはずがなくこちらの弱みを握られて応じているのだろうと思った。事前に相談はない。おそらくこちらへ相談してしまえば心配が波及してしまい、呼び止められるのが分かっているからで河了貂は口出しをしなかった。
しかし、ここでこの噂が本当で自分だけが聞かされてなかったことを始めてしる事となる。
「えっ、羌瘣、知ってたの?」
「ああ。信に相談されてな」
「そっ、そうなんだ……」
河了貂の内心は複雑だった。副長羌瘣に隊長信が相談をしている。自分の方が付き合いが長いのになぜ、とはとてもではないが口に出せず奥歯を噛み締め言葉を呑み込む。悔しさが滲まないよう、不安げな表情を表に貼り付けておくがそれが羌瘣に悟らせないようになっているかは河了貂自身も分からなかった。
羌瘣の顔が横に逸らされ、河了貂も少しだけ緊張をほどく。視線はこちらに向けられず淡々と言葉を続けていく。
「応じるべきか否か、相当迷った挙げ句にこちらに持ってきた。もっと早く言えば良かったものの、ギリギリまで迷ったらしい。曰わく、お前たちを心配させたくなかったんだと。満場一致で応じるだったがな」
だと思う。戦で勝ちを納めるなら汚れても拾いにいく桓騎の性格を加味すれば、己がその場にいたなら皆と同じ様に同意をした。しかしその場に呼ばれてはいない。その事実に自然と河了貂は肩を落とす。視線を寄越してきた羌瘣が、己の落ち込む様子が見て取れたのか心配げな目でこちらを見てくる。河了貂は慌てて背筋を伸ばし、大げさに首を縦に振りながら話を聞いた。
「ありがとな。歩兵達にも特に騒がなくて良いって伝えておくから」
「その、呼ばれなかったことに落胆したのか?」
「っ」
急に己の事に話が振られて驚いた河了貂は、目を丸くしながら羌瘣へ視線を向けた。ぎこちなく笑みを作ってみたものの、やはり見通されていたと言うことだったのか。河了貂は続く言葉を探そうと口を開いたが、口腔が乾き上手く出てこない。
「私でもおそらく落胆する。ただ、材料がお前だったから呼ばなかった。いや、呼ばなかったは違うな。呼べなかった」
「呼べなかった?」
「信のことだ。お前に直接話すことも頭にあったと思う」
材料、と言われたのは桓騎軍に言い渡された言葉はおそらく河了貂自身が捕縛か捕虜か、あるいは。同じ国の軍に従事しながら捕虜なんて、と頭を掠めたがあの軍なら遣りかねない。何しろ軍師である前に戦場で不利とも言える性別なのだから、それは相手に取って好都合なのは分かりきっていた。
羌瘣ではなく、非力な自分が選ばれていたことに動揺は隠せずしかし信の判断は間違っていなかった。河了貂は肩を落とし、首を小さく縦に振る。
「そう、だよな」
「もし、お前に話したところでお前は引き下がるか? 飛信隊の為、もしくは信の為に勇んで行くだろう?」
ぐ、と喉奥が詰まる。信が己に話せばついて行かない、という選択肢はなかった。聞かされていないという事はこの話は元より無かったことになる。羌瘣の言う通り、隊を、そして彼をより危険に晒さずに済んだ。それは喜ぶべきことであり信を生贄にした訳ではないと切り離して考えなければならないのに、素直に受け取れずただ河了貂は困惑をする。
「それは、……そうかも……」
「信は自分の身を厭わない。河了貂が心配する気持ちは私にも痛いぐらい伝わってくる。あいつがそう選んだ、私たちは大人しく待っていよう」
羌瘣に諭され、しぶしぶながらも、河了貂は小さく頷いた。
ここでも、自分の無力さを感じてしまう。信が蛇甘平原に行ってしまった時を思い出す。それから軍師という道を選んだのにも拘わらず、今度はこの身体で置いて行かれてしまう。
河了貂は股の横で手のひらを握りしめ悔しさを噛み締めた。もっと力を。軍師としての力をつけ、飛信隊を伸ばしていく。軍師としての矜持を、そして性別を越えはねのけてしまえるほどの力をつけるべく、無念さを胸の奥に押しやって河了貂は自分の頬を叩いた。
「よし、羌瘣。尾平たちんとこいくよ」
「ああ、私もついていこう」
テンちゃんも羌瘣ちゃんもやっぱり心配するよねって話