※北方史記二次創作
長安にて会って貰いたい人間がいる、と言った甥の霍去病が屋敷に来るということで浮き足立った気持ちで霍去病を待っていた。そろそろ女を取る年頃かと少し感慨深い気持ちで霍去病との日々を思い返していた。
兵士達から慕われ、その容姿で女を魅了し、帝だろうと臆しない物言いから寵愛をうけている甥は、身内の誇りであった。幼い頃から馬を世話をし、戦に出たいとせがんでくる姿はすでに遠い日の出来事となっている。
表から霍去病の声がしたかと思うと、女を連れ立って屋敷へ訪われた。従者が客間に通し、衛青は改めて一度姿勢を正す。
「おじ上、お待たせしました」
「待っていたぞ」
そう言いながら着物の裾に手を通し、ちらりと霍去病へ視線をやると曖昧に微笑みながら後ろ手で誰かの手を取っているのが見えた。
娘と呼べそうな年頃のその女は細く、白い。髪を一つに結い上げ、視線があうと悠々と拝礼が行われた。長安郊外の村の出身らしい。従者に茶を運ばせ、他愛の無い話に花が開いた。霍去病はこういう女が好みだとは思っていなかった。もっと目立つ容姿で胸も豊満な気位の高い女が好きそうだと勝手に決めつけていた節がある。最も帝があてがわれようとしていたとも思えるのだが、その全てを蹴ってこの娘と結婚したかったと言った。衛青は時折娘が霍去病の言葉を補足しながら説明をしていく仲むつまじい様子を穏やかに見守っていた。父や母ではなく、叔父の自分にまず報告してくれたことも衛青は嬉しく思った。
二刻ほど会話を楽しんだ後、娘を送っていく為に霍去病は立ち上がる。衛青は屋敷の門まで見送ろうと邸宅から出て小さな庭を歩く。時折娘が霍去病の言葉に柔らかく笑い、それに霍去病も合わせて笑顔
を見せる。平和な時間を過ごしてほしいと、衛青は心の底から願いつつ、門の手前まで三人で歩いた。
霍去病が先に行ってくれと娘に伝える。従者に連れられ、すでに門の前につけてあった馬の前まで行くのを見届けると、霍去病は改めて衛青に向き直った。
「おじ上」
「なんだ?」
「明日、屋敷へ俺一人で訪ってもよろしいでしょうか?」
「構わないが、何か用事か?」
「……」
霍去病は口を閉じ、何も答えない。正解は明日、ということだろうか。おそらく自分が頷くのを待っていることが手に取るように分かり、衛青は仕方なく首を縦に振った。肩もまだ動かず、痛みも残っている。営舎に行っても出来ることは限られてくるので、明日も屋敷に居る予定だ。
「明日、答えてくれるのだな」
「はい」
「なら、明日訪え」
「ありがとうございます」
約束を取り付けることが出来た霍去病は、安堵の表情を浮かべ、拝礼をしてその場を後にした。その用事は今日一緒にすることは駄目だったのだろうか。衛青は幾ばくか不安が残ったが、気にしていても仕方がない。座っていても仕方がないが、剣を振るうと悪化すると医者に言われているので暫く安静にする事に決めたのだった。
次の日、日が高いうちに衛青が訪れた。勿論、昨日の娘は連れていない。気の知れた仲なので、衛青は霍去病を居室に招き入れ、従者が持ってきた茶を几の上に起き衛青の後ろへ立とうとすると霍去病は衛青の目を見てきた。
どうやら聞かれたくない会話の内容らしく、従者を退室させ周りから人払いをする。これで居室には二人きりということになった。
「それで、今日はなんだ?」
三脚のついた青銅器に手をつけ、茶を啜る。視線だけを霍去病にやると、顔を俯けながら機を伺っていた。気にすることなく衛青は茶を半分ほど飲み、几の上に置くと、同時に霍去病が顔をゆっくりと上げた。何か意を決しているような表情が窺え、衛青も改めて霍去病の顔を真っ直ぐ見た。
「おじ上に、願いごとがありまして」
「申してみろ」
「おじ上を……抱かせて、欲しいのです」
残っている茶を飲み干そうと思い、器に指を伸ばしかけたところで告げられ思わず衛青の指がぴたりと止まる。この甥は今なんと言ったのか。衛青は自分の耳を疑った。
霍去病が視線を下げ、拝礼の姿勢を取りながらもう一度言葉を発した。
「おじ上を抱きたいのです」
衛青は唖然とするしか他ない。甥に自分を抱きたいと言われ、しかも同性で年上である衛青を抱きたいなどと正気で言っているのだろうか。血の気が足りず目眩さえしてくる気がしたが、薬師と医者の努力もあって幸いにも目眩は気のせいで済んだが、耳の聞こえがどうやらおかしい。
「去病」
「はい」
「抱きたい、というのは」
「おじ上を、です」
夢ならば良かった。霍去病が言っていることは目覚めたら全て間違いで、夢と言われたらどれほどよかったか。衛青は止まっていた右手の指を動かし器を掴む。あまりの衝撃に、茶の表面が細かく波を打ち細かく指先が震えるのが確認できる。動揺を隠そうにも隠しきれず、衛青は茶を勢いよく呷った。
「俺を抱きたいなどと……正気か?」
「はい」
「お前には昨日伴った娘がいるだろう」
「ですから、祝宴の前にお願いしているのです」
祝宴をあげてしまえば、不貞になる。増してや相手は大将軍とくれば廷宮では噂され自身はともかく霍去病の地位も危うくなる。
「返事は後日、お前の屋敷へ訪う」
「わかりました」
その言葉に必死さが見え隠れする。今の今まで霍去病はそういった感情を衛青にぶつけてきてはいない。それは身内でもあり衛青が大将軍だからという理由も含まれているのだろう。
「五日後でいいか」
「はい」
約束を取り付け、見送りの為に庭先まで出て行く。空は快晴で、気持ちとは全く無縁な青空が衛青の眼に飛び込んでくる。太陽の眩しさで目を細めると、すでに門の前で待機していた馬の鼻梁を撫でている霍去病からおじ上、と呼ばれる声が聞こえ顔をすぐさま向けた。
「快いお返事をお待ちしております」
「もし、断ればどうなる」
「特に、どうもしません。ただ、俺の願いを聞いていただければ嬉しいですが」
ただの願い事とは訳が違う。兵を補充してほしい、宿舎を広げてほしい、調練で助言してほしいとは訳が全く異なっている。衛青自身に振りかかった問題は霍去病に相談しても抱かせてほしいの一点張りだろう。
衛青は肩を小さく落とし約束の期日に、とだけ言い残しその場を去る。振り返る直前、霍去病が深く拝礼したのを確認することなく踵を返し屋敷へと戻った。期日まで、そして皮肉なことに忙しい身ではない。明日の算段を考えながら衛青は居室へと足を運ぶのだった。
次の日、衛青は桑弘羊に面会を求め丞相府へと向かった。従者に桑弘羊に会えないかと訪ねると、半刻ほど待たされ執務室に通される。几に高く積まれている木簡と睨み合い、丁寧に文字を追っている姿が目に飛び込んできたが、衛青の気配を感じたようで桑弘羊は顔をあげ読んでいた木簡を隅に追いやった。
「突然すまない」
「衛青、珍しいな俺のところを訪うなんて」
「少し……いや、かなり困りごとがあり、相談しに来た」
「かなり? まあいい」
従者に茶を持ってこさせ、それから控えていた者も含めて全ての従者たちを室の外へ出し、扉が閉まる。飾り窓から入ってくる光は優しく、まだ陽も高い時間は室の空気も過ごしやすくなっていた。衛青は桑弘羊に顔を向け、取り合ってくれたことに対して改まって頭を下げる。
「で、用件はなんだ」
木簡にやっていた視線をあげ、桑弘羊が改めて衛青と顔を合わせた。幾度にも渡って匈奴を北へ追いやるために使われている国庫はかなり目減りをしているらしく常に桑弘羊が頭を捻っているのを衛青は目にしている。そしてそれを時々衛青の屋敷にきては愚痴をこぼしながら酒を酌み交わし、一段落ついた所でお開きになるというのが常だが、今日は衛青が持ちかけていることもあり、心労を負わせてしまうことにならないだろうかとふと不安が過ったが、ここまで来てしまったら仕方がない。衛青は握り拳を作り、ゆっくりと唇を開いた。
「霍去病が」
「霍去病が?」
桑弘羊が茶に手を伸ばし、口につけながら名前を反芻する。衛青は一度息を呑み、それから吐き出すように本題を伝えた。
「俺を、抱きたいと伝えてきた」
一口含んだ茶を思わず吹き出し、桑弘羊が咳き込んだ。胸を叩きながら茶を嚥下するものの、困惑の表情が浮かんだ面をそのままに袖で口元を拭くと大きく息を吐きながら衛青へと向き直った。
「あいつ、ついにやったな」
「遂に?」
桑弘羊から出てきた言葉は意外と落ち着いていたので逆に衛青は面食らった。霍去病が持ちかけてきた案に驚くかと思っていたのだがそうではなく、衛青は思わず聞き返す。桑弘羊は頷きながら言葉を続けた。
「帝に召し出された後、私のところにきてはお前の報告だけして帰っていく」
帝はここのところ霍去病を呼び付け戦の話をさせると本人から聞き及んでいた。頻繁に呼び出されるので軍営に支障がでるとも半ば愚痴を溢していたことがあったと脳裏に浮かぶ。
しかしその話と今悩んでいる件との結びつきが見えてこず衛青は首を傾げながら再び桑弘羊に尋ねた。
「それが俺とどう関係あるんだ」
桑弘羊の黒目が僅かに上がり衛青の表情が窺われた。すぐさま几に下ろされ続いて肩を大袈裟に落としながらため息を吐かれた。気の置けない仲である桑弘羊の態度にむっとした気持ちを包み隠さず、顔面に出しほんの僅かに抗議してみるが、桑弘羊が再び様相を盗み見て卓に置かれていた木簡を手に取り始めた。
「……こういうところがあいつはいいのか?」
「答えになっていないぞ」
独り言のように呟かれた言葉に衛青は正解を追い求めたがそれ以上の回答は得られず桑弘羊が手にした木簡を読み下すのを待ちながら衛青は茶を一口飲んだ。
「おまえはどうなんだ」
一読し終えた桑弘羊が顔を上げ、改まって衛青を見ている。とらえどころの無い視線は落ち着き払っており、懐疑や心配の色は見えない。
「俺は……」
衛青は口を開き考え込んだ。抱かれること自体、そもそも嫌悪しているのかどうかも分からない。甥、そして戦場で肩を並べる者としてしか見ておらず突如として抱きたいと言われ嬉々として首を縦に振ることも出来ず、返事を保留にしてあることは卑怯かもしれないと衛青は感じていた。ただあの真剣な眼差しからは逃れられず、真意を確かめたいと思っているのもまた事実だった。
「……分からない」
「嫌ではないと?」
「面と向かってはい、とは言えないがそうしたいと言うなら、させてやりたい気もする」
「それを聞いて喜ぶようなやつか」
「いや」
片眉を上げながら衛青の答えを聞いていた桑弘羊が再び衛青に尋ね返すと、首を振り否定をした。甥は自分を阿られてもおそらく嬉しくもなんともないだろう。そういった人間は捨て置いてきているのを何度も見てきた。
奴僕だった衛青はむしろその逆である程度阿りを重ね、戦場で功績を上げてもなお文官達には気に入られずどうしようもない時もあった。甥は違う。既に高い身分での生まれになり、自分の馬や羊を追いかける仕事などしたことがない。華やかなその人生に自身という汚点を抱くという固い意志は多分揺るがないだろう。
「あと少しあるのだろう。自分なりに整理してみればどうだ?」
「そうするしかないか」
はあ、とため息を大きく吐き出してすっかり冷めてしまった茶を飲み干す。衛青が立ち上がると桑弘羊も取っていた筆を置き見送りを申し出ていたが、衛青は一度断りしかしと食い下がられ、苦笑しながら庭先まででと了承をした。
大の男が二人で並び立ち、廊下を歩く。今まで燭台の灯りが一番明るい室にいたことで眩い陽の光に目を細める。自然に慣れ、目をゆっくりと開くと晴れ渡った空が見えた。今日は雲が出ているものの殆ど快晴と言って良いほど綺麗な青空だった。
暫く静かに歩いていたが、衛青から静かに口を開いた。
「ありがとう。少し肩の荷が降りた」
「霍去病からうんざりするほどおまえの話を聞かされているからな。いつだって言えた。しかし今になって言ってきたのは何か訳があるのかもしれない」
甥からの願望を聞かされ鬱々としていた衛青は桑弘羊に相談したことで多少なりともすっきりできた。桑弘羊がちらりと横目で衛青を見やり、再び視線を前に戻しながら甥が桑弘羊には衛青の話をすると聞かされ、意外なところで繋がっていたことに少し驚いた。瞼を瞬かせ桑弘羊の顔を見ようと立ち止まったが桑弘羊は気にすることなく歩を進めて行く。
「祝宴以外の理由」
「そうだ」
衛青の呟きが耳に届いたのか、頷きながら肯定だけを返しとうとう屋宇の外まで来ると桑弘羊がここまでで良いか、と衛青に尋ねてきたので短く返事を返した。
「……あの」
「いい。おそらくあいつから叔父を抱いたと嫌でも聞かされる」
迷惑そうな顔をしながら眉をしかめ、言いかけたことに対して振り払うかのように軽く手を振りながら背を向け屋内へと消えていく。その後ろ姿に感謝を表すために拝礼をし、衛青もその場を立ち去った。
約束の日の五日後になった。衛青は霍去病の屋敷に訪う為に身なりを整え従者を一人だけ連れ屋敷の門の前まで馬で乗り付ける。既に霍去病の従者が待っており、馬上から降りるとお待ちしておりましたと声をかけられ屋敷まで案内された。馬も厩へと別の従者が連れて行く。
衛青より武功を上げているのにも拘わらず屋敷は相変わらず身分には見合わないほど随分と質素なもので、血筋なのかそれとも衛青自身を見習っているのかは知らない。もっと大きな屋敷を持てばいいのに、と言ったところでそれはおじ上もでしょうと言い換えされるのが目に浮かんだ。
「おじ上!」
外で待っていたと思われる霍去病が手を上げこちらに駆け寄って来た。衛青より身長が高く、また整った面構えをしているのは姉の血を受け継いでいるのが少し離れた距離からでもよく分かる。息一つ乱していない霍去病が目を細めて破顔しながら出迎えにきた。
「お待ちしておりました。中へお入り下さい」
「……ああ」
建家に通され履物を脱ぎ、玄関脇の客間へ通される。向かいあう形で座らされ、茶を出されるとそれぞれの従者は払われて室には霍去病と衛青の二人だけとなった。聞かれたくない話ということはあの時の続きだと言うことが衛青にも分かる。
出された青銅器に手を出し、口をつけようと腕を伸ばす。簡単な動作ならまだ出来るが両手が必要な動作は出来ない事も多く介助が必要で、不便も随分と多くなった。
指先に力を入れ、器を持ち器を唇につける。鼻から通る茶の匂いは衛青の心を和ませた。一口含んで嚥下し、器を几に置くと霍去病が口をゆっくりと開き始めた。
「今日はありがとうございます」
「約束していたからな」
「はい。早速ですが、おじ上の返事をお聞かせ下さい」
何の前置きや雑談もなくまどろっこしい回り道をせずすぐさま本題に入るところはいかにもこの甥らしいと思い、衛青は苦笑を僅かに浮かべた。その表情を疑問視することなく、霍去病は真っ直ぐ衛青の面持ちを見ている。真剣そのもので、瞳には冗談の色が一つも孕んでいなかった。
「俺は、抱かれてもいいと思っている。ただ、一つ聞かせてほしい。おまえは俺が男でも抱くのか?」
「――おじ上、だからです。他の男を抱きたいなどと一度たりとも思った事はありません」
視線を器の水面に移し、抱きたいと言われた時から考えていた疑問を霍去病に投げかけた。幼少時から一緒にいる甥が衛青自身を抱きたいと思うということはつまり男色の気があるのではないかと、そう衛青は受け取っていた。邸宅に連れてきた女はみながそうするように婚礼を気持ちに背いてまで行うと言うことなのだろうか、とずっと思案し半ば不安まで抱えていたが甥から出された答えに、多少なりとも安堵した。少なくとも婚約をした相手は好いているということになる。
次の戦でもし死ぬようなことがあれば心残りになるかもしれない、まだ結婚はしていないので不貞という形にもならないになるのかもしれないと勝手に結論付け、霍去病の顔を見た。
酷く緊張している、と衛青は感じる。戦に出ている時よりも遥かに険しく、今日こそ匈奴の単于の首を討ち取ると言った表情をしている。甥にとったらこの答え次第で身の振り方を変えたのかもしれないと思うと、同情心がもたげ始める。それほどまでに自身を抱きたかったのかと思うと、衛青の心の奥が何故かつきりと一瞬痛んだ。
「……分かった。なら遠慮なく抱くといい。ただし、肩にまだ痛みがあるのであまり無理な体勢はさせないでくれ」
「それは承知の上です。……おじ上」
「なんだ」
「抱きしめてもいいですか?」
張り詰めた空気は払われ、安堵した表情になった霍去病が顔に似合わ無いようなことを口走る。女に対してもそういう態度なのだろうかと尋ねて見たかったが、衛青は声に出さず軽く首を縦に肯かせた。
向かい合わせで座っていた霍去病が立ち上がり衛青の場所へ数歩移動してくる。腰を下ろし、上体を前に出して失礼しますと小さな声で呟くと腕が伸ばされて背中に手が回りその暖かさを感じ取れた。
肩に顎を乗せられ、身が甥へと寄せられる。胸の辺りが霍去病の弛んでいる衣へと当たり身体の近さを否が応でも分からせられた。
「おじ上……嬉しいです」
どう応えていいかわからず、衛青は動く片腕をゆっくりと霍去病の背に回す。青年の身体となった背の引き締まった筋肉を撫で、装束を軽く握り締めた。
一戦を退こうとしている、片腕が使えなくなった老いぼれのどこが良いのだろうか。疑問を口にしても恐らく甥はおじ上が良いのです、の一点張りだろう。衛青は抱き締められている霍去病の肩に顔を埋め、脳裏に浮かんだ懐疑をしまい込んだ。
「おじ上」
「どうした」
「口吸いをしても?」
「は?」
霍去病に普段よりずっと甘い声で親族としての名を呼ばれ、くすぐったい気持ちになるのを取り繕い至って冷静に返事をすると霍去病が何の躊躇いもなく提案を持ちかけてきた。あまりの突拍子の無さに思わず埋めていた肩口から顔を離し、衛青は霍去病の顔を怪訝そうに眉をひそめながら見る。
「抱いていいのでしょう? なら口吸いをしたいのです」
「……去病」
「はい」
「それは……、好いた者同士が行うのであって」
衛青にも妻はいる。しかし口付けを行うなどあの恋愛に燃え上がった時ぐらいで今はとんと行わなくなってしまった。それでも時々帝との食事会で舞子を呼び抱いたとしても接吻はしないと決めているので、霍去病からの申し出に驚く他なかった。
「おじ上は俺のことがお嫌いでしたか?」
「いや、おまえ、そういうのではなく」
首を傾げ霍去病が衛青を覗き込んでくると、衛青は視線を逸らし口付けの言い訳を考える。霍去病が目を細め、口角を僅かに上げながら衛青の顔をじっと注視しており徐々に居たたまれなくなってくる。
「言い訳なんていらないです。俺がおじ上にしたいんだから、それで良いでしょう?」
そう呟くと霍去病の整った鼻梁が衛青の眼前に飛び込み、自身の唇にふわりと柔らかいものが触れる。ふっくらとした瑞々しい果実のような霍去病の唇は生暖かく、体温と吐息を乗せ衛青の唇へとあてがわれた。触れるだけの口付けを何度も繰り返し、唇を離す度におじ上、と蕩けるほど甘く囁きながら再び口を吸う。
あの婚約をする女にも同じ態度をとっているのだろうか、と思うと衛青は再び胸の奥がつきりと針が突き刺さったように少し痛んだ。
霍去病が唇を離し、衛青の肩を持って引き剥がす。抱きしめられていた体温の暖かさがなくなると、衛青はわずかに寂しさを覚えた。
「……おじ上、寝室に行きましょう。申し訳ないのですが、我慢出来ません」
霍去病の瞳の奥に欲が燻った熱の揺らめきが見える。普段は性欲とは無縁そうな笑顔を見せているこの甥は確かに今、自身を抱くという絶対的な決意が見て取れた。もう一度口付けたならここで掻き抱くと言われているような、そんな眼だった。
衛青は目を逸らし戸惑いながらも小さく頷く。もしも他に突然の来客があり、霰もない声を聞かれるのは流石の衛青も気が引ける。そもそもそういった性的嗜好はなく、人に聞かれる趣味なぞもちろんなかった。
霍去病が手を引くように立ち上がり、続いて衛青も霍去病に支えられながら膝を伸ばす。何事もなく握られた手を見つめ、衛青は少し慌てて手首を持つように促した。
「これだと、従者たちに妙に思われるだろう」
「俺の屋敷でそんなことを言う奴がいたら即刻出て行かせますよ」
「いや、そういうことではなく……」
確かに出て行かせればなにも問題はないが、これは衛青自身の気持ちの問題であり、この屋敷の事情の話をしている訳ではなかったが、霍去病には伝わらず手を握られたまま寝室へと二人で向かう。
調度品はなく、作られてそのままの廊下を歩く。霍去病の屋敷には過去に一度か二度とほどしか訪なったことがある程度で邸第の中の様子は全くと言って良いほど知らないものだった。さして衛青の屋敷と変わった雰囲気は特にない。もっと飾ればよいものをと思ったが、これもまた自身の背を見て育ってきた甥らしいと衛青は苦笑した。
寝室らしき室に到着すると扉を開き中へどうぞと促される。他の室より広く作られており、寝台は他の家具よりも華美になっている。ここで度々女を呼び抱いているのだろうか。衛青は思考を霧散し、霍去病の後をついていく。
寝台の他には几と燭、それに木簡が積まれている棚と引き出しぐらいしか備え付けられていない寝に帰ってくるだけの場所のようだった。
「おじ上」
先に霍去病が寝台の縁に腰をかける。その前に衛青が立ち、感覚が分からない手と握られていた手の両方が優しく握られ、霍去病は顔を衛青へと上げながら小さく微笑んだ。
「ずっとこの日を待ち望んでおりました」
「……俺を、好いていたのか」
「はい。しかしおじ上は既に子もおりますし、体裁もあります。女の事は実際好いておりますが、おじ上ほどではありません。なので祝宴を挙げる前に、一度で良いからおじ上に気持ちをお伝えし、抱かせていただきたかったのです」
甥の素直な気持ちにどう受け止めていいか衛青はわからず、眉を思わず曇らせてしまった。慌てて取り繕うが霍去病は気にすることなく言葉を続けて行く。
「おじ上への気持ちに気がついたのは、つい最近です。女たちと遊んでいる時にふとおじ上の事を考えてしまい、また娼婦を抱いている最中におじ上の痴態を想像しておりました」
「ちっ、痴態など」
「想像の中のおじ上は、愛らしく霰もない姿で俺を誘ってくるのですが……今ここでその様子をお伝えしても?」
「いや……しなくて良い」
取っていた両手を優しく引き寄せられ、寝台腰をかけるよう促される。縁に腰を乗せると丈夫に作られている寝台が僅かに軋み、木枠がわずかにたわむ。動かない手を膝に載せられ、両頬へ霍去病の手が添えられた。伝わる体温が衛青の体温よりも高く、暖かさを感じ衛青はまぶたをゆっくりと下ろした。
「去病」
「はい」
「その……肩がまだ痛く……」
「出来るだけ肩を労りながら優しく抱きます。でも我慢が利かないかも」
閉じた瞼の裏には霍去病のはにかむような、困ったような笑顔が思い浮かぶ。実際にそのような表情を甥がしているか衛青には分からなかったが、すぐに唇が柔らかい感触に包まれ、後頭部に手が当てられ寝台にゆっくりと寝かしつけられた。
客室で口を吸われた時とは打って変わり、次第に激しいものへと変わって行く。舌を口の中へと差し込まれねっとりとしつこく、しかし激しい口づけはいつぶりだろうかと場違いな事を考えうっすらと瞼を薄く開けると目を瞑り、舌を口腔の奥まで差し入れようと必死になっている甥の顔が眼いっぱいにうつり見てはいけないものを見てしまったような気になり、衛青は再び瞼を閉じて自ら暗闇の中へと身を投じた。
***
衛青の隅々まで味わった霍去病は満足そうな顔をしていた。先刻まで嫌と言っても手放してくれなかった霍去病との交接が終わり、身体を拭かれ霍去病が青染めの装束の袖に腕を通しているのを衛青は静かに見ていた。動かない腕と苛めぬかれた腰が動かず寝台の上に寝かされている衛青は、背中からでも喜びが伝わってくる甥に何か声をかけようと思ったが、霍去病にさんざん鳴かされていた為にかすれた声しか出てこず、うまく呼ぶことが出来なかった。
「おじ上」
不意に振り向かれ、心臓が跳ねる。どうした、と双眸だけで訴えるとそれに呼応するように霍去病が口を開いた。
「本日は泊まっていかれますか? そのご様子ですと馬に跨がるのも大変でしょう」
悪戯っぽく含み笑いをかけられ、衛青は眉をひそめそうになったが甥の言うことはもっともであり、話が長引いたとでも理由をつけておけば特に疑われることもないのは確かだった。衛青が小さく頷くと途端に霍去病は破顔し嬉々として従者を呼びつけに寝室から出て行った。衛青は一人きりになった寝台の上で小さくため息をつき、天蓋の天井を眺めながら先刻まで行われた交情を思い出す。
何度も甘く囁かれた声には懇願が乗り、無理矢理にならないようあくまでも甥が衛青にお願いをするという形をとってはいたものの主導権は常に霍去病にあり、言いようにされてしまっていたというのが正解だろう。
それでも久々の性交に滾るものを感じたのもまた事実だった。妻とは違う、駆け引きや気遣いなどが必要なくまた男同士というのもあってか多少の痛みや乱暴な扱いをしても差したる障害にならないことを衛青は知った。
また、愚息の勃ち上がりがここのところ良くないと思っていたにも拘わらず、交接中は男根に痛いほど血が集まり霍去病の指で愛撫される度に、ひたすら我慢汁を垂れ流すほど快感に流されていた。
また、行う日は来るのだろうか。ふとそんな疑問を抱いてしまうほど、衛青にとって心地良すぎたと言えた。
「おじ上」
「伝えてきたか」
「ええ。無理をさせたので、ゆっくりお休みくださいね」
従者に申し伝えてきた霍去病が室に戻り、寝台まで歩み寄ってくる。無理矢理笑顔を作り、霍去病に返事をした。その様子に安堵を浮かべ寝台の縁に腰をかけると手を蝶のようにふわりと舞い、衛青の頬へと留まった。浮かされるほどの熱は既に感じ取れず、それでもほんのりと暖かい手のひらに衛青は瞼を閉じた。
「おじ上」
「……なんだ」
「一眠りしたら、もう一度だけ」
口角があがりそうになる口元を引き結び、顔を霍去病からわずかに背けてほんの少しだけ首を縦に動かし肯定をした。寝台に反対の頬をこすりつけ、波のように襲ってくる眠気に衛青は優しく迎え入れる。
この歪すぎる関係を今日だけはどこまでも享受したい。思いを胸にしまい込み、思考はどこかに流れていく。衛青は甥と自身が谷底へ堕ちていくような、そんな気持ちが、湧いた。
北方史記/霍去病×衛青